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東京ラーメンとは

オーソドックスな醤油ラーメンであり、日本式ラーメンの原型とも言える存在。「中華そば」「支那そば」の呼び名でも表示される。1910年に当時流行の最先端だった浅草に店を構える「来々軒」が発祥とされており、叉焼(チャーシュー)、支那竹(メンマ)を初めてトッピングするなど、日本式ラーメンの基礎を築いた店とされる。鶏ガラを中心に野菜や豚骨でじっくり煮出した透明感のあるスープを使用し、麺はスープに絡みやすい中細の縮れ麺が一般的である。また、近年は動物や野菜のダシに加え、魚介をスープのダシとすることが多い。

様変わりする「東京ラーメン」

古くから「東京ラーメン」というのは間違いなく存在していた。それらはあっさりとした醤油味に細めの縮れ麺、シンプルな具で構成される。スープは煮干しや昆布など海産物系が使われ、弱火で煮出した透明感のあるスープが特徴である。しかし、いまの時代、東京で食べられるラーメンに関していえば、無国籍・全国版である。ほとんどどこの地域の麺類でも食べられるようになった。全国各地の有名店が次々と都内に出店し、群雄割拠の様相を呈している。

浅草の「来々軒」が東京初のラーメンと言われており、1910年の開店。日本のラーメンブームの発祥と言われる。現在は店を閉めてしまったが、その流れを汲む店が千葉の稲毛にあり「進来軒」として現在も東京ラーメンを出している。

その後、東京では多発的にラーメン店が登場した。老舗では「大勝軒」(人形町:1912年)、「萬福」(銀座:1929年)、「春木屋」(荻窪:1949年)など。老舗の「萬福」はすでに三代目になるが昔とかわらぬ味を銀座で提供し続けている。三角形の卵焼きが印象に残るラーメンである。

ラーメンジャパン / ラーメン店の例

東京の老舗ラーメン店の例 

背脂チャッチャ系

一方、背脂チャッチャ系の元祖である「ホープ軒本舗」(吉祥寺:1938年)から「ホープ軒」(千駄ヶ谷:1960年)や「土佐っ子」(ときわ台:1970年頃)が誕生し、東京背脂系を形成する。
「ホープ軒」からは「弁慶」(堀切:1972年)、「香月」(恵比寿:1973年)など、一世を風靡するお店も誕生した。
※背脂チャッチャ系とはスープにコクを出す為、煮込んだ豚の白い背脂をスープに入れること。網で背脂をチャッチャッと振りかける動作(音)から定着した呼び名。

東京背脂系ラーメン店の例

荻窪ラーメン

荻窪では「春木屋」以外に「丸福」「丸長」「丸信」「佐久信」「二葉」「漢珍亭」などの人気店があり、荻窪ラーメンという名称で呼ばれていた。(漢珍亭、佐久信 閉店) どちらも老舗で「春木家本店(1931年創業)」と「春木屋 荻窪本店(1949年創業)」があるが兄弟親戚関係で独立採算なのでどちらも本店と名乗っている。

当時の荻窪ラーメン店の例

「丸長」からつけめんの「大勝軒」が分かれていき、こちらも後に一大勢力になっていく。1990年代には車で食べに行くことも多かったため街道沿いに人気ラーメン店が集中した。環七ラーメン戦争などという言葉が生まれたのもこの頃である。

環七ラーメン戦争

環七ラーメン戦争とは1990年代初頭、東京の外側を半周する都道「環七通り」沿いに出現した数々のラーメン店とその熱気と人気を指す。深夜まで路上駐車の列ができ、住人との揉め事も起き、社会問題となる。全盛期には100軒以上のラーメン店がしのぎを削ったとされ、今でも70軒以上のラーメン店が営業する激戦地との事。当時の代表店「なんでんかんでん」「土佐っ子」は閉業して後継店が別の場所にできているが、当時から根強く現在も営業している店舗があるので例として店舗を以下に示します。

1986年「食材の鬼」と呼ばれた佐野実氏の「支那そばや」(藤沢→横浜)の登場により、ラーメンに対する「こだわり」が芽生え始めた。

96年組

1996年に創業した「麺屋武蔵」(青山)「青葉」(中野)「くじら軒」(横浜)の存在が後に影響を与えることが多く(96年組と呼ばれている)、インターネットの普及とともにラーメンも大きく進化・発展していった。店舗数も県別では圧倒的で最近では若い人の出店も多く、最新のトレンドを生み出している。

中国から伝来したラーメンに「醤油」を使うことで「日本式ラーメン」が誕生したと言われている。東京におけるラーメンの特徴は「醤油」であろう。スープは鶏ガラベースで豚骨を加える場合でも清湯(半透明の澄んだスープ:醤油色)が多く、そこに野菜や魚介系の和風出汁などを加えるのが一般的。煮干しや鰹節など魚介系もよく使われていた。
96年組(創業年)と呼ばれている「麺屋武蔵」や「青葉」は動物系と魚介系を別取りし、直前にブレンドするという方式で香りを立たせていた。それを「Wスープ」と呼んでいる。

11年組

2000年に入ってからは若い店主が店を出すことが増え、斬新なラーメンが増えていった。特に2011年に創業した「ソラノイロ」「くろき」「マタドール」は11年組と呼ばれ、新しいスタイルを築き始めた。

多様化・原点回帰・進化

2015年には世界で初めてラーメンがミシュランで星を獲り、世界的にも注目された。千円の壁と言われていたが、もはや人気店では千円超えを果たしている。最近では「原点回帰」などという言葉とともに見た目は昔懐かしいタイプに見えるラーメンも増えてきたが出汁の取り方や、スープの濃度(清湯でも高い濃度がある)に大きな違いがあり、原価の掛け方が変わってきた。また醤油その物にこだわったり、香味油にも工夫するようになってきた。

水と鶏しか使わない「水鶏系」という言葉が出てきたのも最近だ。鶏ガラだけではなく、丸鶏を使ったり、産地を厳選したり、こだわりにはとめどない。

新しいタイプの醤油(東京)ラーメン店 例

水鶏系ラーメン店 例

約2000店、おそらく世界で一番多くのラーメン店が存在する東京。今後も進化を続けるでしょう。

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佐野ラーメンとは

栃木県佐野市が発祥のラーメン。青竹打ちと呼ばれる、麺生地を伸ばしながら打つ製麺技法で作られる自家製麺が特徴。加水率が高く弾力が強い麺が使用されるため体重をかけて伸ばす「青竹打ち」が採られている。麺の形状は平打ちが多く、スープは豚骨や鶏ガラを使ったコクのある醤油味が多い。

青竹打ちの多加水麺が魅力

 青竹打ちで、幅広のピロピロした麺が佐野ラーメンの大きな特徴である。加水率はかなり高く(50%近いものもある)、食感は柔らかい。店によってはとろけるような感じで出てくるものもある。スープは鶏ガラベースの透明感のある醤油味。具は、チャーシュー、メンマ、ナルト、ネギといたって普通。市内には200軒近くのラーメン店があり、ラーメンの街なのである。これだけ多くのラーメン店が存在するのには理由がある。喜多方同様、美味しい水だ。佐野の麺とスープは日本の名水百選に数えられる湧き水を用いて作られる。

佐野ラーメン青竹打ちの解説動画

 佐野ラーメンの歴史は古く、大正5年頃(1916年)にはラーメンを取り扱った洋食店「エビス食堂」があった。この流れを汲んで昭和5年(1930年)に「宝来軒」が誕生する。また昭和九年には「精養軒」が開業する。このあたりかが佐野ラーメンの元祖的存在である。

 ラーメンフリークの間でいちばん人気の高いのは「とかの」だ。席数が少ないことや混んでいても同時に何杯も作らないこだわりもあって、週末はいつも行列。その日の麺がなくなったら営業終了である。昼過ぎにはなくなることが多い。洋食出身の店主が作る綺麗な色をしたスープに、手打ち麺にしてはやや細めの麺が特徴。シンプルながらも抜群の味わいである。(※現在は閉店)

 柔らかい大判のバラチャーシューの旨さで人気を獲得、店舗を増やしているのが「おやじの店」。もともとは屋台だったが、今では50席を持つ繁盛店に成長した。長男が経営する二号店、次男が経営する三号店とあり、いずれも人気店となっている。

「森田屋総本店」は、その暖簾を多くの弟子たちに譲り渡している佐野の代表店。ここ総本店は100席近くあり、家族連れにも人気だ。 職人技の青竹打ちによる麺の評判が高いのは「岡崎麺」。一晩寝かせることにより、独特のコシを出している。 製麺所に勤めていた麺の専門家が出したお店が「太七」。さすがに麺のスペシャリストだけあって、麺が旨い佐野においても抜群の旨さである。酒を少々加えて、青竹で打ったあと三日間寝かせるのがポイントだとか。

おやじの店2号店(昌)チャーシューメン … 肩バラを使った柔らかいチャーシューが人気。元々は屋台から始まったが、 その味は3号店にまで広がった。

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老舗の佐野ラーメン店

人気の佐野ラーメン店

首都圏の佐野ラーメン店

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喜多方ラーメンとは

福島県の喜多方市発祥の郷土食。喜多方ラーメンの元祖といわれる「源来軒」は1925年に開店しており、数あるご当地ラーメンの中でもかなり古い部類に入る。

特徴は加水率の高いもっちりとした極太の幅広い平打ち麵、スープは澄んだ醤油味。豚骨と煮干しをブレンドした出汁が多く見られる。飯豊山(いいでさん)から流れる名水を使っているので麵もスープも生きてくる。そのため東京にある喜多方ラーメンは現地から麵もスープも輸送している場合が少なくない。チャーシューはバラ肉の煮豚が多く、普通のラーメンにも四~五枚のる店が多い。チャーシュー好きの人間には嬉しいことだ。ましてやチャーシュー麺(店によってはメニュー名が「肉そば」)の場合は20枚近くのる店もあり、頼む前に要確認。

喜多方では、なぜか、朝早くからやっているお店が多いのが特徴。これは朝食としてラーメンを食べていたかららしい。 また、店名に「食堂」とつくお店が多い。これは田舎である喜多方に蔵の写真をとる観光客が来るが、ファミリーレストランなど少なく、食事をとるには大衆食堂に行き、またそこの代表的なメニューが喜多方ラーメンだった、その名残との説がある。

もっちりとした幅広麺とチャーシューがたまらない

人気があるのは全国にフランチャイズ展開している「坂内」の本家筋にあたる「坂内食堂」。ここは喜多方でも珍しい塩ラーメンが基本である(といっても醤油も少々使っている)。「坂内」や「小法師」(「坂内」の系列店)が完全に醤油なので、それに慣れた人が「坂内食堂」で食べるとちょっと驚くことであろう。「坂内食堂」「坂内」「小法師」に共通で人気なのが肉そば。丼の一面にたっぷりのバラ肉チャーシューが入っている。喜多方のラーメン店は朝が早いことでも知られているが、ここ「坂内食堂」は7時開店。喜多方の中でも特に早いほうである。

「坂内食堂」と人気で双璧なのが「まこと食堂」。ここは座敷になっており、キャパシティも大きく、観光バスが寄ることもある。スープは豚骨清湯と煮干し。オーソドックスな醤油味だが、コクがあり、スープまで飲み干していく客も多い。自家製のチャーシューはバラ肉7割に対してもも肉が3割。全国発送の通販もやっている。しかしこの老舗店は2023年秋、惜しむらくは76年の歴史に幕を閉じた。

新横浜ラーメン博物館の開館当時に入っていたことで知名度を上げたのが「大安食堂」。一階が駐車場になり、店舗は二階にあるという変わり種だったが今は斜向かいの土地に移転して営業。
雑誌のアンケートで喜多方で一番になったこともある「上海 (老舗 上海)」は、女性創業者から女性店主に引き継がれている味。内装や器などにも女性店主なりの気遣いが感じられる。もともと幅広の太麵が多い喜多方の中でもいちばん太いと思われるのが「食堂なまえ」。極太手打ち麵と黄金色のスープが人気だ。

JR喜多方駅から徒歩圏内に数多くの店がひしめき合っているので、電車での観光でも十分に楽しめる。

少し時間があれば隣町の会津坂下に足を運んで、「食堂いしやま」の冷やしラーメンを食べていただきたい。ここは冷やしラーメンの元祖といわれる山形の「栄屋本店」が冷やしラーメンをはじめた昭和27年(1952年)から、同じく冷やしラーメンを提供している。製法、味共にまったく違うので、おそらくどちらもオリジナルであると思われる。「食堂いしやま」も知られざる元祖といっていい。また会津若松にも人気のラーメン店、老舗ラーメン店がたくさんある。

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老舗の喜多方ラーメン店の例

人気の喜多方ラーメン店の例

喜多方ラーメンは市内に100軒ほどあるラーメン店をまとめて「喜多方老麺会」という組合を持っている。地図などガイドマップを公開しているので是非参考にどうぞ。

首都圏の喜多方ラーメン店の例

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仙台ラーメンとは

宮城県の仙台市周辺で食されてきたラーメン。ご当地ラーメンとしてはこれ、という定義的な仙台ラーメンはない。しかしラーメン店舗は多い。近年では昔からの特産品「仙台味噌」をベースにした辛めの味噌ラーメンを仙台ラーメンとしている傾向もある。

さまざまなタイプが楽しめる街

 仙台にはご当地ラーメンも地ラーメンといわれるものもない。しかしラーメン文化がないわけではない。それは青葉区の一番町や国分町を歩いてみるとわかる。とにかくラーメン店が多いのだ。(※2021年仙台市351店舗)繁華街にこんなにラーメン店が多いのに、特徴のあるラーメンが育っていない、というのは面白い。これはある意味、大阪のラーメン文化に似ている。いろんなラーメンがあるが故に大きな特徴が見出せないのである。
 大阪を無理矢理ライト豚骨の街と定義するなら、仙台はあっさり醤油系だろうか。「志のぶ」「八千代軒」「岳陽楼」「徐州楼」、それといくぶん中華系のような気もするが「成龍萬寿山」などもそうだ。
 麺もやや白っぽく細めで柔らかいのが多い。これらは、わりと歴史がある店に多く仙台のラーメンのベースはここらにあるのではないかと思う。こういうラーメンがご当地または地ラーメンとして定着していないのは、そのスタイルがあまりにも地味だからかもしれない。しかし、食べてみると懐かしさを感じると共に、ホッとする、今風に言えば「癒し系」のラーメンである。インパクトや「食ったぁ~」という満足感はあまりないかわりに、毎日でも食べられそうな、身近なラーメンなのである。それでいて味わ深いのだから、これは歴史のなせる業なのか。
 しかしこうした土地柄だからなのか、他の地域からの吸収がうまい。たとえば、国分町で人気の「仙台っ子」は、見るからに横浜の家系である。しかし、家系で修行をしたものではないようだ。食べてみると、家系以上に濃厚なスープなのである。中途半端な家系が進出してきても負けてしまうような気もする。
 カップ麵にもなった「味よし(国分町味よし)」は、辛味噌で人気の店で店舗も増やしている(紛らわしいのは同じ「味よし」という名で違う系列店(中倉系)があることだ…)国分町味よしは山形・赤湯の「龍上海」をモデルにしていると聞く。(現在はキッチンカーで営業)
 京都本店の「天下一品」ですら、仙台に来ると「天下一品こむらさき」(※現在は閉店)となり、例のドロドロスープのメニュー以外にもオリジナルメニューが豊富で、全国にある「天下一品」のなかでもこれは大変珍しいと思う。社長がチャレンジ精神旺盛で、他にもラーメン店を経営しており、香港でしか獲れない鮃の煮干しを使ったり、和歌山ラーメン・久留米ラーメンなどにもチャレンジしている。
「芳々亭」(※現在は閉店)は店内に入るとかなりの豚骨臭がするほどの博多系だった。麵もしっかり硬めに茹であげてくれる本格派である。
 米沢ラーメンで人気の「北〇」、東京の背脂チャッチャ系を仙台流にアレンジした「六三四」もある。「山頭火」「ちばき屋」など他地域の有名店の支店も頑張っており、ラーメン人口は決して少なくない街だと思う。

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老舗の仙台ラーメン店の例

その他人気の仙台のラーメン店の例

首都圏で仙台・宮城のラーメンを提供するお店の例

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山形ラーメンとは

山形県を発祥とするご当地ラーメンの総称。 山形県はラーメン消費量が日本一と言われている。 山形県では、醤油ベースのスープに中華麺が入ったラーメンは「中華そば」と呼ばれることが多い。そういった醤油ベースのスープのラーメンこそが「山形ラーメン」であるとする人もいる。味自体は、県内の各地域や各店で異なるため、ひとつのメニューを指して「これが山形ラーメン」とひとくくりに定義できる物ではない。また、蕎麦屋においても中華そばを提供する店が多く、中には本業の蕎麦よりもラーメンのほうが人気となっている蕎麦屋もある。

「冷やしラーメン」だけじゃない

 ここのところ、「冷やしラーメン」で紹介されることが多い山形。確かに「冷やしラーメン」の元祖は本町の「栄屋本店」である。スープは牛肉のブイヨンがベース、しかもチャーシューも牛肉というユニークさである。そして、冷やしワンタンメンの元祖が北山形の「栄屋分店」だ。
 他にも冷やしラーメンのバリエーションが豊富で、しかも50年以上の歴史があるので有名店も多い。透き通った塩味スープの冷やしが人気の「山長(やまちょう)」、酒粕が隠し味の冷やしやまぶきがある「廣東」、芋煮を具に加えた「佐藤屋」(休業中2023年)などである。
 そして寒河江地区で有名なのは冷やし鶏そば。「いろは」などにあるが、そば屋の発想であろうと思われるユニークな一品だ。これがまた旨いのである。

 しかし山形は冷やしラーメンだけの県ではない。ラーメンが美味しい街もたくさんあり、それぞれに特徴があるのだ。何せ、中華麺の消費量は日本一という統計資料もある。
 米沢は鶏ガラ・煮干し中心のさっぱり醤油味。幅広の縮れ麺。「ひらま」「熊文」などが代表。ちょっとタイプが違うが「やまとや」も人気。

 温泉で知られる赤湯エリアには、辛味噌で名高い「龍上海」がある。山形市などにもあるが、親戚筋にしか暖簾分けを認めず、しかも原則取材拒否店なので、地元中心に人気の店である。ラーメン好きは一度は訪れてほしい店である。

 天童エリアには100年を超える歴史のある蕎麦屋「水車そば」があるが、ここで出される鶏中華は蕎麦と中華の合体・融合という感じで、斬新である。もともと蕎麦屋なので裏メニューで出していたらしいが、人気が広がり、とうとうメニューに載せることにしたもの。地元では、他の店でも出はじめており、天童の地ラーメンになりつつあるようだ。

 新庄エリアではこちらも蕎麦屋だが「一茶庵本店」「一茶庵支店」「一茶庵分店」などがある。出は一緒らしいが今ではまったく別物が出てくるので面白い。特に人気があるのが「一茶庵支店」。ここのもつラーメンは名物になっている。また珍しい「ぬるまラーメン」というのがある。これは茹でた麺をいったん水で締め、それを熱いスープに入れたラーメンである。全国でもかなり珍しいメニューである。

 酒田エリアは自家製麺比率が日本一ともいわれており、それだけに麺へのこだわりは強い。多加水の細麺で熟成させた麺を使う。面白いことに店名に「月」が付く店が多く、「三日月軒」「満月」「新月」「半月」など。手打ちというと青竹が思い浮かぶが、「三日月軒」では鉄棒を使って体重をのせ麺を打っている。これは酒田でも珍しく、全国でもそんなに聞かない。

●「栄屋本店 冷やしらーめん」 冷やしラーメンの元祖といわれる店。スープは牛肉のブイヨンがベース。チャーシューも牛肉。
●「龍上海 赤湯からみそラーメン」 さらっとした辛味噌がのっており、これが結構辛い。しかしクセになる味。
●「水車そば 鶏中華」 日本そば屋の裏メニューで人気№1だった。和風のスープに揚げ玉が絶妙で面白い。

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老舗の山形ラーメン店の例

その他人気の山形ラーメン店の例

首都圏の山形ラーメン店の例

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十文字ラーメンとは

秋田県横手秋田県横手市十文字地域を中心とする地域で食されるラーメンで、「十文字中華そば」とも表する。あっさりとした醤油味で煮干や鰹節などを出汁に使用した和風のスープと、カンスイを全く用いず独特の食感をもつ細い縮れ麺が特徴である。また、具材に関してはチャーシュー、ねぎ、メンマのほかに店にもよるが麸と蒲鉾が入るのも特徴である。

細めの手揉み麵、あっさり醤油

秋田県は南部に位置する十文字町に、ご当地ラーメンとまではいえないが、しっかりした「地ラーメン」(意味合いとしては、「ご当地」よりはもっと狭い範囲ながら、明らかに根付いている同系統のラーメンのこと)がある。町の名前を取って「十文字ラーメン」と呼ぶ。人口15,000人程の町にラーメン店は50軒もある。

その特徴は、カンスイを抑えた細めのちりちり麺(手揉み麺)を使い、イワシの焼き干しに鰹節と昆布がベースのあっさり醬油スープ。具はチャーシュー・メンマ・海苔の他に麩とかまぼこ(もしくはなると)がのる。昭和初期、多くの人が行き交う十文字で一人の中国人が引いていた屋台のラーメンが評判になったことから始まったと言われる。

代表的なのは「マルタマ」「丸竹食堂」「三角そばや」の三軒である。いちばん古いのが「マルタマ」。三軒とも古いが「マルタマ」は創業1934年なのでもうかれこれ90年近くになる。同じく70年以上経っているのが「三角そばや」。店名はそば屋だがれっきとしたラーメン専門店であり、メニューには中華そばの普通、中、Wとチャーシューメンの普通と中しかない。「丸竹食堂」は、豊富なメニューと広い店内で日曜などはてんてこ舞いである。こちらも70年近く経っている「三角そばや」と「丸竹食堂」には、スープ入りの冷やし中華そばがある。

創業年度を考慮すると、冷やしラーメンの元祖といわれている山形と同時期か、もしくはこちらが古いかもしれない。小さな町ながら、ラーメンにおいては歴史的な町かもしれない。

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老舗の十文字ラーメン店の例

その他市内の十文字ラーメンを提供するお店の例

その他の地域の十文字ラーメン店の例

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青森ラーメン(津軽ラーメン)とは

青森県西部、津軽地方発祥とされる煮干しラーメン。 煮干しを煮込んで取っただしを基本に醤油ダレなどを合わせたスープが特徴。昔の青森の家庭の味噌汁が煮干しを使っていたのが原型との説がある。
また、B級グルメとして有名な「味噌カレー牛乳ラーメン」については《コチラ》に後述する。

歴史を感じる煮干しの和風ダシ

青森はご当地ラーメンとしての呼ばれ方はないが、有名どころや人気店を回った感じとしては、基本線としての特徴が見受けられる。それは、煮干しを使った和風ダシである。「昔ながらのラーメン」と感じさせる店も多いが、煮干しのインパクトが妙に新鮮さを感じさせる店も少なくなかった。歴史的には昭和の初期に存在していたようで、これはかなり古いといえる。当時から、陸奥湾で獲れるイワシの焼き干しを使っていたらしい。特に弘前は煮干しが強かったように思う。

あまりの煮干しの強烈さに「うわぁー」と声を出してしまったほどだったのが「たかはし」。手打ちで特徴のある細麺が印象的な「緑屋」は、理髪店だった建物をあまり変えずに使っているという不思議な店。甘いスープも印象に残った。

青森でいちばん有名なラーメン店がおそらく「まるかい」である。筆者の印象としては久留米の「丸星ラーメン」がダブって見えた。別に名前が似ているからではない。その店の存在、地元民からの愛され方、外見や雰囲気からである。もちろん久留米の豚骨とは全く違って、かなり煮干しの効いた醤油味だ。

続いて朝8時から開店する「くどうラーメン」。青森ラーメンというカテゴリーを作るとするなら、この店あたりが参考になるのではないだろうか。筆者も興味本位で8時に行ってみたが、子供も含めてけっこうな賑わいなのである。

青森では通常の麺と手打ちの麺の両方を出しているラーメン店が意外と多くあった。

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老舗の青森(津軽)ラーメン店の例

人気の青森(津軽)ラーメン店の例

首都圏の青森(津軽)ラーメン店の例

スーパーやネット通販で買える函館ラーメンの例

味噌カレー牛乳ラーメン

青森には「青森のソウルフード」と称される変わったラーメンが有る。
味噌カレー牛乳ラーメン(味噌カレーミルクラーメン)である。
豚骨・鶏ガラ・野菜ベースのスープに白味噌とカレーと牛乳で作るスープは味わいはまろやか。和風と洋風の両方を感じる不思議な味わい。

中高生の遊びから発生したラーメン

由来は1968年、北海道・札幌ラーメン横丁でラーメン店を経営していた(故)佐藤清が、東北地方に札幌ラーメンを広めたいと1968年に海を渡った青森市に「味の札幌」を開店する。
1970年代「味の札幌」の映画館支店において、ラーメンにケチャップやマヨネーズ、コーラなどさまざまなものを入れて食する遊びが中高生の間で流行した。
このとき、「味噌ラーメンにカレーと牛乳を入れて食べると何故か美味い」という噂が流れ始め、客側の要望によって1978年、正式なメニューとして「味噌カレー牛乳ラーメン」を発売するに至る。 現在は弟子達が味噌カレー牛乳ラーメンを受け継ぎ、青森市内で提供している。
つまり、札幌味噌ラーメン中学生高校生の遊びから偶然できて正式メニューになった変わった発生過程と50年近くの歴史を持つラーメンだ。

日本では東洋水産がカップラーメンとして全国発売したり、各種メディアでも珍しいご当地ラーメンとして紹介された。また2024年6月には全国展開する寿司店「スシロー」でも期間限定ながら発売。
また、「つじ田」でも期間限定商品として提供されたり、さまざまな味噌ラーメンを提供するラーメン店などで限定メニューとして提供される有名なB級グルメである。

青森県で味噌カレー牛乳ラーメンを提供するお店の例

首都圏で味噌カレー牛乳ラーメンを提供するお店の例

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函館ラーメンとは

北海道函館市を中心に食べられている「塩ラーメン」で、豚骨や鶏ガラをベースに近海で取れた海産物から取ったスープを使用。麺には中細ストレート麺が用いられており、やわらかめのモチモチした食感が特徴である。トッピングはチャーシュー、メンマ、長ネギ、ほうれん草、鳴門などのオーソドックスな物が多い。

気品のある塩ラーメン

函館はなぜか「塩ラーメン」なのである。「札幌の味噌」「旭川の醤油」に合わせて、マスコミが作ったかのような話であるが、実際に行ってみると紛れもなく「塩ラーメン」なのだ。店に入って「ラーメン」と注文すると確かに塩ラーメンが出てくるのである。

透明感のある優しいスープが主流。旭川や札幌が男を感じさせるのに対して、函館は気品のある女性を感じさせる。

麺はやや加水率が高い麺で、ウエーブ程度の縮れがある。豚骨をベースに、濁らせずに採った透明感のあるスープを活かすために、具もシンプル。

異国文化との交流も活発だったこともあってか、函館のラーメンの始まりは早い。日本で最初かも、というような古い記録も残されている。少なくとも明治10年代(1877~)には中華料理が誕生しているようなので、早い時期にラーメンが登場しても不思議ではない。昭和初期(1926-1945)の記録にはラーメンや支那そばの存在が記されている。ルーツは、明治10年頃(1877)に、江南出身の華僑たちが経営していた広東系の支那そば店に見られると言う説があり、ストレート麺と澄んだスープが特徴の「中国汁そば」が原型とされる。

人気どころとしては「鳳来軒」「鳳蘭」「あじさい」「松らく」など。いずれもが透き通ったスープにシンプルな具のラーメンである。「あじさい」は五稜郭前のビルの二階にあり、ラーメン店らしくはない。そもそも函館のラーメン店は専門店が少なく、中華料理店のラーメンが多い。メニューも豊富で実際はラーメンにおいても醤油や味噌もあるケースが少なくない。しかし前述したように、ここでも「ラーメン」と頼むとやはり塩ラーメンが出てくるのである。

新横浜ラーメン博物館に2000年に「復活」した「マメさん」は、2001年、無事に地元に凱旋し、人気となっている。もともと函館にあり、昭和40年代(1965~)に人気を博した店だったが、諸般事情により閉店していた。この店の味を今風にアレンジして、新横浜ラーメン博物館と地元の製麵所・岡田製麵の社長が協力して、再興したのである。(2023年8月閉店)

どんなラーメンでもたいがい存在する東京において、函館ラーメンは歴史があるのにもかかわらず、そんなに多くはない。

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老舗の函館ラーメン店の例

その他の人気の函館ラーメン店の例

首都圏の函館ラーメン店の例

スーパーやネット通販で買える函館ラーメンの例

※全国のスーパー・ドラッグストア・公式通販(日本国内へのお届けのみ)にてご購入いただけます。

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旭川ラーメンとは

北海道の旭川発祥のラーメン。加水率の低い細めの縮れ麺を使う。多くが、魚介類と豚骨・鶏ガラで出汁を取ったWスープを採用しており、それに醤油ダレを使うのが主流。スープを冷めにくくする目的でスープに多めのラードを入れる。

低加水麵に濃厚スープが合う

北海道3大ご当地ラーメンは札幌の味噌、旭川の醤油、函館の塩。首都圏の旭川ラーメンブームは1990年代の後半に巻き起こった。旭川ラーメンは歴史あるラーメンなのに、その頃、札幌・東京に大きなムーブメントを起こしたことは、客観的にみると面白い出来事である。しかし、その裏では、そうなるべき動きがあったのだ。

東京では1994年、恵比寿に「山頭火」がオープン。旭川に本店があり、その後急速に成長。北海道中心に南は博多まで50軒以上のチェーンを展開した。しかし、2022年現在10数店舗になっている。一方、海外では相変わらずの人気で40店舗以上を展開。ちなみに本店の開店日は店名にちなんで3月10日(さん とうか)である。

1990年代後半、札幌では「札幌ラーメンvs.旭川ラーメン」という構図ができ上がり、マスコミでもそういう紹介が多数なされた。今は札幌にもすっかり旭川ラーメンが浸透し、すでに旭川ラーメンを通り越し、それすらも新しい「札幌ラーメン」になってしまったかのような錯覚を受ける。旭川ラーメンとしての札幌進出一号店は平成元年に開店した「平成軒」。札幌の人気店「山桜桃」「五丈原」なども「山頭火」の流れにある旭川ラーメンである。

さて、旭川ラーメンの特徴は何か。麺は加水率が低くやや細めの縮れ麺。スープをよく吸うのでスープに馴染みやすいが、その反面伸びやすいともいえる。豚骨と鯵の煮干しなど海産物から採る濃厚スープ、醤油ダレが特徴。具はシンプルな店が多い。老舗の代表店は「青葉」と「蜂屋」の二軒である。

「青葉」は1997年から98年の期間、新横浜ラーメン博物館への出店を機に全国ブランドとなった。また全国有名デパートの物産展などにも精力的に出店し、しかも、その際は本店を休んでご主人自らラーメン作りに上京するという力の入れよう。50年スープとも呼ばれる伝統の継ぎ足しスープは豚骨、鶏ガラの動物系に、鰹節、煮干し、昆布などの海産物系、そして野菜などを弱火でじっくり煮出したもの。極寒の地、旭川ならではの工夫か、スープの表面には油の層が。これで冷めるのを防ぎ、熱々状態で食べることができる。

一方、もう一つの雄である「蜂屋」は、1999年に新横浜ラーメン博物館に入ることになる。同じ地区のラーメンで二軒入るのは札幌・福岡以外では、かなり珍しいケースである。それだけに実力店があるご当地だといえよう。この「蜂屋」は、スープの香りに大きな特徴がある。焦がしたラードの風味に強いインパクトがあり、好みが分かれるのである。しかし、このインパクトがあったからこそ、地元旭川では長い間、愛されてきた味なのである。スープは豚骨と鰺の煮干しを煮込んだWスープ。このWスープという表現はここ数年使われるようになったが、この「蜂屋」では、半世紀前からWスープなのだ。

旭川ブームを起こした裏の仕掛け人がもう一人。いや、もう一組、それが「加藤一族」である。「蜂屋」の主人も加藤家の一人なのだが、その兄が初代社長となったのが旭川の代表的製麺所の一つである「加藤ラーメン」。今は長男がそこを引き継いでやっており、札幌進出も果たした。そして、次男は首都圏進出を果たし、見事に札幌・東京両方で旭川ブームを実現したのである。ここで面白いのは、兄は製麺所として札幌に進出していったが、次男は「旭龍(きょくりゅう)」を代表とするラーメン店として進出し、そしてフランチャイズ展開で事業を伸ばしていったことである。「旭龍」以外にも「旭鳳」「こもり」「共華」と一気にシェアを拡大。旭川を札幌と並ぶくらいのご当地としての浸透を果たしたのである。(現在は閉店)

なお、人気店「天金」は煮干しを使わず、豚骨と鶏ガラだけで驚くほどのコクを出している。
また、旭川での醤油ラーメンの表記だが、「正油」表記をするところも多い。

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老舗の旭川ラーメン店

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札幌ラーメンとは

北海道札幌市発祥のラーメンで、日本三大ラーメンのひとつに数えられており、知名度は全国区。西山製麺所が開発した、縮れがある多加水熟成麺が一般的。この多加水熟成麺はもちもちとして弾力があり、粘りが強いのが特徴。ラーメンが冷めるのを防ぐため、スープにラードなどを浮かべる。現在は味噌ラーメンが多いが味噌以外も多数ある。札幌市内にあるラーメン店の数は1000以上と言われ「ラーメン王国」などと称されることもある。

味噌ラーメンは40年経ってから

始まりは大正11年(1922年)の「竹家食堂」。「ラーメン」という呼称が誕生した店としても知られている。
その後、札幌で「龍鳳」「だるま軒」などの屋台が誕生したのは昭和21〜22年頃(1946年〜1947年)。かれこれもう100年近くの歴史があることになる。
冬はかなり寒くなることから、身体があたたまる熱々のスープが誕生したと言われている。注文のたびに中華鍋で挽肉、太もやし、玉ねぎなどをたっぷりのラードで炒め、そこに味噌と豚骨ベースのスープを加え、熱々に仕上げるのが札幌風。かなりの高温なのにラードが蓋をして湯気が出ないため、慌てて食べると火傷するので注意しなければならないほど熱い。野菜とスープを一緒に軽く煮込むので野菜の旨味も加わり、一体感のあるスープができあがる。
スープではニンニクとショウガが欠かせない存在になり、身体を温める効果と元気になった気分になるのがいいところ。
麺は札幌ラーメンの発展に大きく貢献している「西山製麺」のかん水が効いたコシの強い中太の多加水熟成縮れ麺。
また、麺には鶏卵が練り込まれて黄色い。後に多くの製麺所ができたが同じような麺を作っていることにより「札幌ラーメン」のイメージが形成された。

西山製麺は「公楽ラーメン名店街」(1951)(現在は「元祖さっぽろラーメン横丁(1971~)」
で出店した8軒のうちの1軒、「だるま軒」のが母体。当時から製麺技術に定評があり、1953年製麺部門が独立してできた歴史ある製麺会社だ。 1947創業のだるま軒は二条市場にて現在も営業している。

味噌ラーメンの元祖は「味の三平」。老舗では「味の来々軒(閉業)」「味の時計台」などもある。
本来は醤油味を中心に出していたが「味の三平」が「味噌味メン」(味噌ラーメン)を誕生させたことにより、大きく様変わりした。「味の三平」が味噌味を試作したのが1954年~1955年頃。雑誌に掲載されたことから人気となった。
大熊勝信氏の「熊さん」が東京大阪の北海道物産店で味噌ラーメンを提供し、評判を呼び、知名度が全国区に。
札幌のラーメン店では、味噌ラーメンの人気とともに、醤油味・塩味・味噌味の3種類を出すのが定番となる。
1960年頃、特に観光客には「札幌は味噌」というイメージが定着した。
つまり、それまでの間40年近くは札幌も醤油ラーメンの文化だったのだ。
また、“バターラーメン”発祥の店とされる「味の華平」(1969年創業)は2020年惜しまれながら閉店したが、ラーメンにバターを入れるというスタイルは多くのお店で残っている。

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旧来の札幌ラーメンを継承・提供する店舗の例

純すみ系

1964年「純連(すみれ)」(漢字で「純連」と書いて“すみれ”と読ませていた)を村中明子が創業し、その長男が「純連(じゅんれん)」三男が「すみれ」という二つの店を出した。そこで働く人が増え、修業して独立する人も急増。同系統の味のお店が増えていった。それらの店を二店舗の店名から「純すみ系」と呼ぶようになった。特に「すみれ」の新横浜ラーメン博物館への出店が大きく、全国にその名を知られるようになった。
中華鍋を使うのは以前と一緒だがラードやニンニク、味噌の使い方など、パンチの効いた熱々のスープが大きな特徴。マニア間では「純すみ系」、マスコミでは新札幌ラーメンなどと呼ばれていた。

純すみ系のラーメン店の例

1967年東京出身の青池保氏がデパートの北海道物産展をヒントに「どさん子ラーメン」(※どさん子は北海道生まれの意味)を開始。マクドナルドのフランチャイズ方式を参考に1970-80年最盛期には1000店以上を日本中に出店。札幌味噌ラーメンの知名度を決定づけた。
1990年から2000年にかけて旭川の伝統の醤油ラーメンが札幌に進出してきて、その影響から札幌ラーメンは多様化を見せる。
独自の醤油ラーメンを極めた「てつや」や「ななし」「むら山」「ふくや」
豚骨塩味「五丈原 」や「山頭火」、旭川味噌ラーメンの元祖「よし乃」など。
また北海道石狩市で生まれ、札幌で人気となり行列作るラーメン店「らーめん 信玄」(創業1998年)。豚骨をベースとして醤油や塩ラーメンも置くも札幌では味噌ラーメンが不動の人気という。札幌は味噌ラーメンが求められているのかもしれない。
1000軒以上あるといわれる札幌のラーメン店。中華食堂から始まり、屋台の醤油、味噌ラーメンの発生とブーム、旭川や他エリアのラーメンの流入、そこからの再進化。「ラーメン王国」と呼ばれる札幌は今後もラーメンを発展させていくであろう。

新興勢力の札幌のラーメン店の例

首都圏の札幌ラーメンを提供するお店の例

スーパーやネット通販で買える札幌ラーメンの例

※全国のスーパー・ドラッグストア・公式通販(日本国内へのお届けのみ)にてご購入いただけます。