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名古屋ラーメンとは

愛知県名古屋周辺で食されているご当地ラーメン。好来系台湾ラーメンに二分されるといわれる。好来系は千種区の好来を源流とする。魚介とトンコツの2種をベースとしたダブルスープを使用し、漢方薬膳を基本としていてスープはわずかに白濁している、多くはあっさり系のラーメン。台湾ラーメンは、「味仙」発祥、具にニラとひき肉が乗っている醤油ベーススープのラーメン。多くの場合、唐辛子を多用した刺激的な辛味のラーメンを提供している。

また、ベトコンラーメンというニンニクを使ったスタミナ系地ラーメンもあるが別項で紹介するとする。

ローカル巨大チェーン、漢方薬膳の好来系、名古屋生まれの台湾ラーメン、そして高水準の新店ラッシュ

名古屋の人は排他的と聞く。銀行、新聞、野球など地元の人気が強い。では、きしめんや味噌煮込みうどんが強い中でラーメンはどうか。そして、他の地域のラーメン参入状況はどうか。最近ようやくご当地ラーメンも少しは参入してきたが、他の地域と比べてやはり少ないようだ。では、他をしりぞけるほどのご当地ラーメンが名古屋にあるかというと、それもない。では、ラーメン文化がないのかというとそうでもない。

 まず、名古屋にとって大きな存在が「スガキヤ」である。豚骨スープに鰹節を効かせた独特のラーメン。しかも、低価格で甘味なども扱い中高生にも人気の一大チェーン店である。ハンバーガーやフライドチキンではなく、名古屋では「スガキヤ」のラーメンなのだ。高校時代にたっぷり馴染ませてしまい、ソウルフードとしてしまう戦略なのだろうか。一時期、400店舗まで増えたらしい。首都圏にも数軒あったが今では全て撤退している。もっともラーメンフリークから見ると「スガキヤ」はラーメン店ではなく、ファーストフード店、ということになるかもしれない。

直営1号店は栄にあったが現存せず、チェーン1号店は1969年ユニー大曽根店内(名古屋市)で開店し、2012年まで営業を続けていたが現在は跡地に本格的なラーメンを出す「寿がきや」が出店。2022年1月現在、関西~東海地方までの8つの府県にわたって286店舗展開している。また海外では「壽賀喜屋」「Sugakiya」として台湾やインドネシアに展開している。

 さて、実は名古屋にもご当地とまでいわないにしても地ラーメンはある。一つが「台湾ラーメン」、もう一つが好来系(もしくは薬膳系)である。

「台湾ラーメン」の面白いところは、台湾のラーメンではなく、名古屋の店が考えたラーメンであるというところ。事実、台湾にはこういうラーメンはないらしい。そもそもこのラーメンを最初に出したのは「味仙」である。小振りの器に茹でた麺を入れ、そこに挽き肉・ニラ・ニンニク・鷹の爪などを味付けして麺の上からかけたもの。辛さも相まって、非常にインパクトの強いラーメンである。これがかなり人気となり、他の店でも真似をし始めた。今では、作り方は違えど、多くの店で「台湾ラーメン」というメニューを用意している。看板に「支那そば」を掲げる店にも台湾ラーメンがあったのには驚いた。「江楽」、「本山」(現在は大阪に移転)も台湾ラーメンが人気の店の一つだ。

また、台湾ラーメンから派生して「麺屋はなび高畑本店」で「台湾まぜそば」が考案され(2008年)「名古屋めし」と認知されはじめ、全国区に広がる。

 そしてもう一つの地ラーメンが好来系。その名通り「好来」(現・総本家 好来道場)が元祖である。

 スープが豚骨・鶏ガラに野菜を煮込んで白濁した(豚骨の白濁とは違った、やや黄色がかっている)もので、やや甘みのあるスープ。メンマが大きく量も多い。麺はやや太めでストレート。卓上には朝鮮人参酢が置いてあり、これを加えるとさっぱりしてお薦めのようだ。確か、麺茹でのザルは四人分がくっついたようなユニークな形状のザルである。これはこの系統の店でしか見たことがない。また店内は木を中心とした造りでメニューも木の板が多い。好来系のラーメン店としては「好陽軒」「好龍」「藤味亭」「めんきち」「みつ星」「陣屋本店」などがあるようだ。本来は「好来」で修業をした店のみが暖簾分けとして認められるようだが、混沌としてきており、直系ではない店も出てきたらしい。

 名古屋は最近、ちょっとした新店ラッシュで、しかも高水準の店が多い。行列になった「三吉」は、無化調のこだわりラーメン。スープが不出来だと店を開けないらしく、私が行ったときも危うく臨時休業になるところだった。チャーシューや半熟の味玉も抜群で名古屋のラーメンを引っ張っていくのではないだろうか。他にも無化調の店、飲み水に炭を入れて置く店、内装にこだわった店などができ、まさに「名古屋ラーメン新世紀到来」という盛り上がりである。

総本家 好来道場 「松」 好来系の本家、新漢方薬膳ラーメン。他地方にはない個性的な味。
好陽軒 「叉焼麺(松)」「好来」出身。基本メニューがこれ。甘みのある黄色っぽいスープと大きなメンマが特徴
まさご 「中華そば」 高山ラーメン(岐阜)の元祖で代表的な店。タレがなく、最初からダシに入っているのは珍しい。

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名古屋発 ローカルチェーンの例

名古屋発 台湾ラーメン店の例

好来系統のラーメン店の例

名古屋発 台湾まぜそば店の例

名古屋の様々なタイプの人気店の例

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富山ラーメンとは

さっぱり・すっきりとした醤油味の系統のラーメンと、「大喜」が開発して広がったとされる煮詰めた濃い醤油をスープに使い、胡椒・葱を多く添える系統のラーメンがある。後者が次第に「富山ブラック」という通称で呼ばれはじめ、全国一般化した。

二つの醤油味

富山はラーメンの街としては地味ながらもユニークである。 まずは、富山の歴史を語る上で外せないのが1931年に屋台で創業した「末弘軒」。コシのある手打ち麺にさっぱりした醤油味。鶏ガラとウルメイワシの煮干しで採っており、豚骨は使わないようだ。とろけるような手作りワンタンも人気。もう一方の雄「まるたかや」のスープは「末弘軒」とは逆に豚骨ベースのすっきり醤油味。卓上の脂カスとおろしニンニクが「まるたかや」の特徴でもあり、これがあって初めて「まるたかや」のラーメンの完成、といっても過言ではない。今では店舗も増え、六店舗ほどある。この二軒が富山の代表といえる。他にも100席を超える大型の人気店「九頭竜」(現・古久龍)なども透き通った醤油ラーメンである。

 これらの透き通った醤油味を万人好みとするならば、マニアックな通好みのもっとインパクトのある富山らしい店がある。その名を「大喜」(創業1947年)という。本店は取材拒否のため、あまりマスコミには出ないが、支店の根塚店は良く出ている。この「大喜」の特徴はいくつかある。スープが見るからに真っ黒でしょっぱそうで、実際にかなりしょっぱい。そして、最初からかなりの胡椒がかけられている。そしてチャーシューが多い。ネギも多い。メニューは中華そばのみで、小・大・特大とある。小が普通のラーメンの量なので、初めてのひとは間違えて大などを注文してはいけない。具のメンマとチャーシューもとにかくしょっぱい。「富山の人々はこれで大丈夫だろうか」と心配になるくらいしょっぱい。でも、私自身もまた食べたくなっているのだから、その吸引力は強い。

 この濃い色のスープが富山には多い。「富山ブラック」といつしか言われ始め現在の富山ラーメンの通称の様になっている。「ぼんてん」には濃い味のぼんラーメンと薄味のてんラーメンがあるが、薄味のほうが他の一般的なラーメンの感じ。同じく「めん八」にも普通味とこってり味(ドライ味)がある。ここは、「大喜」ほどしょっぱくはないが、普通味が見事に黒いスープである。同じく黒いスープで「竜豊」という人気店があったのだが閉めてしまったようだ。他にも黒いスープの店が富山には多い。

末弘軒 中華そば …屋台から始めた人気店ウルメイワシの煮干しと鶏ガラから採るさっぱり系の醤油味
まるたかや ラーメン …さっぱりした醤油味だが、ニンクや脂カスを入れて食べるのが一般的。
大喜(富山)中華そば小 …マニア受けする強烈な味。真っ黒なスープは、しょっぱくて胡椒辛い。しかし、後を引く。

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老舗の富山ラーメン店の例

人気の富山ラーメン店の例

首都圏の富山ラーメン店の例

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新潟ラーメンとは

新潟の5つの地ラーメンを総称して新潟5大ラーメンなどと呼ぶ。「新潟あっさり醤油ラーメン」「燕三条背脂ラーメン」「長岡生姜醤油ラーメン」「新潟濃厚味噌ラーメン」「三条カレーラーメン」を指す。

煮干し、背油、味噌のどれも逸品

「新潟ラーメン」という言葉は存在しない。残念ながらご当地ラーメンの一地区として、漏れてまったのだ。しかし、ここ新潟はあなどるべからざるラーメンの地なのである。かくいう私も最近まとめて食べに行って気が付いたことである。

 新潟市に最初にラーメンが伝わったのは昭和2年(1927年)「保盛軒」の誕生による。すでに100年近く、歴史としても他のご当地よりも古い。スープは鶏ガラベースに煮干しを効かせたもので、これが新潟市に多い煮干し系に流れていったと思われる。繁華街古町で少し高級そうな純北京料理店の店構えで営業していたが、老朽化のため2002年に移転。西区ときめきの住宅街にカジュアルな町中華として営業中。

 煮干し系の老舗では他に「三吉屋」がある。あっさり醤油味で煮干しが効いたスープ。これが新潟市には多い。すぐ近くに似たような名前の「信吉屋」という店があり、関連があると思って聞いてみたら無関係らしい。でも、同じ煮干しダシ。こちらはやや透明感のあるスープで塩と醤油の中間くらいか。本町中央市場にあり、周りの風情と共にぜひ経験しておきたい一店だ。「石門子(せきもんし)」(現・閉)も煮干しが効いたスープ。ただし、隠し味に自分で採った貝類を加えているようで、それで深みが出ている。

 朝七時から営業していることでも有名な「中華のカトウ」(現・閉)は、鰹と煮干しの蕎麦風味。創業当時からの自家製麺にも特徴があり、その面がなくなる昼過ぎで営業が終了してしまう面白い店である。貝の穴あきナルトも珍しかったが、最近では訳あって使わなくなったらしい。

「天龍」(現・閉)なども煮干し系の老舗の一つである。市内では他に「丸木屋」(無化調・ログハウス的内装)や「おざわ」(無化調・昔風内装)、「ばすきや」(自家製カレーが人気)などのニューウェーブが台頭しているが、やっぱりどこも煮干し系である。そうした煮干し系の中で強烈に印象に残っているのが「来味」「味みつ」。この二軒は、混んでいても行列していてもラーメンは一杯ずつ作ることを徹底している。まさに「一杯入魂」である。作るところを見ていても感動モノだが、当然ながら出てきたラーメンは驚愕の逸品であった。

 話が長くなったが、これまでの話すら新潟の一面でしかない。

 次は背脂系。背脂とえば東京の「ホープ軒」をはじめとする背脂チャッチャ系や、京都の「ますたに」を本流とするますたに系がある。どっちが元祖だ、という論議もあったが、新潟にはその両地区よりも古くから背脂系があるのである。
 元祖は燕市にある「福来亭」(現・閉)。創業が昭和初期(1932年)。ここから同じ燕市の「杭州飯店」「まつや食堂」、お隣りの三条市の「中華亭」「(三条)福来亭」「いこい食堂」、新潟市の「関屋福来亭」、長岡市の「安福亭」「潤」などと拡がり、新潟の一大勢力となっていった。

 この特徴は強烈な背脂だけではなく、油も多いこと。そして、自家製の麺が東京の「ラーメン二郎」並みに極太麺であること。そして、そこに煮干しが効いていることである。極太麺・背脂・煮干し、というミスマッチな組み合わせと思ってしまいがちだが、そこは90年もの間、県民に親しまれ、そして拡がっていった味。食べてみると意外とクセになる。煮干し好き・二郎好き・こってり好きを包含するラーメンなので、東京に進出しても人気になる素養を持っていると思う。

 次に長岡地区にある「地ラーメン」的なモノが生姜系のスープ。私はまだその代表店である「青島食堂」でしか食べていないが、似たような味が長岡を中心に拡がっているらしい。

 さらに、忘れてはならない味が新潟にはある。「味噌ラーメン」だ。味噌ラーメンの街ではない、とばかりに味噌ラーメンにこだわる店なのだ。元祖は巻町にある「こまどり」。今ではキャパが100近くの大型店になっているが、それでも行列を作るほどの人気店だ。何しろ味噌だけでメニューが10種類ほどある。トッピングをただ変えるだけではなく、味噌・食材・調理法を変えているから驚く。さらに、同じ味噌のメニューでも麺の種類が四種類あるというから二度びっくり。しかも、味噌ラーメンには「薄めスープ」がついてくる。東京でいえば、つけめんの割り湯の感じ。「スープが濃かったらこれで薄めてください」と、ベースのダシを付けてくれるのだ。

 この「こまどり」から出た店で新潟市にある「東横」は本家をも凌ぐ勢いで人気急上昇、支店も出した。コシの強い極太麺にかなり濃いめの味噌スープ、そして本家同様の薄めスープ付き。行列店である。同じく「こまどり」から出たのが豊栄市にある「東光」。他にも味噌が人気の店は「古潭(こたん 現・閉) 」「きのじや」「赤道食堂(現・閉)」「味噌や(現・閉)」など、多数あり、新潟ラーメンの奥深さを感じられる。

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新潟あっさり醤油ラーメンを提供する店の一例

昭和初期(1926-1945)に新潟市内にあった堀の周りにあった屋台で提供されていたラーメン。
屋台では火力が弱く、早く茹で上げるために細麺が中心となり、その細麺に合うように煮干し醤油のスープが作られた。

燕三条背脂ラーメンを提供する店の一例

金属加工業が盛んなエリアで出前のラーメンの需要が高かった。なるべく熱々で美味しく食べてもらうために背脂を振って蓋をして温度を保ち、麺は伸びにくいように太くしたとの説がある。

長岡生姜醤油ラーメンを提供する店の一例

生姜をスープに入れ始めた理由は「豚のくさみを消すため」と「体を温めるため」という説がある。

新潟濃厚味噌ラーメンを提供する店の一例

別添えの割りスープを加えて、味の濃さを調整しながら食べるという珍しいスタイルを「こまどり」が採用。

三条カレーラーメンを提供する店の一例

80年以上の歴史を持つ「三条カレーラーメン」の誕生のルーツは第二次大戦前、東京の洋食店。イギリス式カレールーの製法を習得した職人が、地元三条の食堂でラーメンと融合させたのが、「三条カレーラーメン」といわれている。 広まったのは高度経済成長期(1955〜73 頃)、三条市で盛んな金物産業の多忙な職人さんたちの間で出前のラーメンとして広まったと言われている。
カレー餡が温度を保つための蓋の役割をするという発想は、隣の燕背脂ラーメンと一緒である。

首都圏の新潟ラーメンを提供する店の一例

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竹岡(式)ラーメンとは

東京湾に面した千葉県の内房海沿い、富津市の竹岡地域を発祥とするラーメン。「梅乃家」が発祥とされている、ダシを使わず「チャーシューを煮込んだ醤油ダレをお湯で割っただけ」という、真っ黒で塩辛いスープが特徴の独特な製法の地ラーメン。千葉の三大ご当地ラーメンの一つ。

竹岡式ラーメン店の分布

麺を茹でたお湯とチャーシューの煮汁で作る醤油ダレだけで、スープを構成。黒く塩辛い。梅乃家では乾麺を使用。薬味には角切りにしたタマネギを使う。元祖の梅乃家及び鈴屋と違い、派生店では生麺や昆布ダシを使用するなど、その店独自の工夫をこらしている場合がある。

常識破りの地ラーメン

 ご当地ラーメン(地ラーメン)は、県または市(まれに町)単位で盛り上がっているのが普通である。しかし、この「竹岡」は、千葉県の木更津の南にある富津市の一地名である。にもかかわらず、竹岡系といういう名称もあるほど、地ラーメンとして定着しているのだから面白い。

 代表的な店は「梅乃家」でここが竹岡式の元祖といわれている。ここのラーメンには、ラーメンの常識を覆す特徴がある。ダシがお湯なのである。いや、お湯だから「ダシ」とは呼ばない。ラーメンづくりのポイントである「ダシ作り」、これがないのだ。作っているところを見ていると、鍋にお湯を入れ、そこで麺を茹でている。そろそろからな、と思ったときに、麺を丼に入れるのはまあ普通として、そのまま茹で湯も一緒に入れてしまったのである。「入れてしまった」という表現は、お店が手抜きをしているようで正しい表現ではない。そのようにしてお湯で醤油ダレを薄めるのがここの正しい作り方でなのである。そう、まるでインスタントラーメンを作るかのように。

 そして、さらにインスタントラーメン的なのが麺。ここ「梅乃家」では、乾麺を使っている(営業開始時間から少しの時間は生麺を使うという話も聞く)。そう、見るからにインスタント的なラーメンなのである。しかし、醤油の産地・千葉だからこそ、なせる業なのか、それでいて、意外に美味しいから驚いてしまう。乾麺で作るお湯ラーメンなのに、である。

 もっとも、竹岡ラーメンの中で乾麺を使っているのは、あまりない。しかし、その多くは「お湯ラーメン」を受け継いでいる。同じ竹岡にある「鈴屋」、木更津にある「富士屋」「佐藤君 (※君津にかめちゃんとして移転」」、その名も「竹岡らーめん」(ここはチェーン店で多店舗展開中)などである。薬味にはタマネギの微塵切りを使うが、濃い目の醤油味にこのタマネギが良く合う。

ラーメンジャパン / ラーメン店の例

竹岡(式)ラーメン店の例

他地域にある竹岡式ラーメン店の例

竹岡式ラーメンを提供するお店は、漁師のまかない飯として作られた側面があるため、千葉県の内房海岸沿いにあるが(上の地図参照)、一部東京や離れた場所でも営業しているのを見つけることができる。

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地ラーメンとしての「サンマー麺」と全国区に広がった「家系ラーメン」

サンマー麺とは

サンマーメン、さんまーめん、漢字では「生碼麺」「生馬麺」「三碼麺」と表記される。サンマ(秋刀魚)とは無関係。広東語で「生」(新鮮でシャキシャキした素材)を「馬」(上に乗せた)麺の意味。発祥は戦前の横浜中華街、当時の中華料理店の賄い料理であったとろみの付いた肉そばが原型とされ、戦後にメニューとして成立していった。塩味か醤油味に細麺を使い、もやし、豚肉、キクラゲ、白菜、ニンジン、葉物野菜など、色取り取りの食材を炒めた物に餡をかけるのが基本的なサンマー麺。

サンマー麺の主なお店の例

横浜 家系ラーメンとは

神奈川県横浜市「吉村家」発祥(1974年)の、スープが豚骨醤油ベース、麺は太麺のストレートが基本となっているラーメン。その特徴を有するラーメンおよびそのラーメン店群を横浜家系・家系と呼ぶ。味の濃さ、脂の量、麺のゆで加減など、ラーメンを構成する要素をお客が好みの味や食べ方に調整できるようになっている店舗が多い。多数の亜流と企業として多店舗展開するお店(資本系)がある。

さっぱり醤油から「家系」へ変貌

 横浜は中華料理が最初に到着した街でもある。だから、ラーメンも最初であろうと想像できる。中華料理用の清湯スープにストレート麺。これが元祖横浜ラーメンである。「玉泉亭」は1918年に創業した老舗だが、今でも懐かしい味をだしている。そして、地ラーメンとして、あんかけ野菜(モヤシが中心)が具となった「サンマーメン」がある。

 しかし、今、「横浜ラーメン」といえば家系と呼ばれるラーメンのことを指す。新杉田で1974年に吉村実氏が創業した「吉村家」が総本山(現在は横浜駅近くに移転)。吉村実氏は当時長距離トラックの運転手だったが、趣味で密かに研究を重ねていた九州の豚骨ベースと東京の醤油ベースを組み合わせたスープを開発し、ラーメン業界に挑戦した。いわば「脱サララーメン」。
基本形は、ストレート・短めの極太麺。豚骨と鶏ガラを大量に使った旨みの濃い醤油味のスープに大きな海苔の組み合わせである。食べ手の好みで、麺の茹で具合、脂の量、味の濃さが選択できる。歴史は長いがここ数年で増殖し、全国で250軒とも300軒ともいわれており、まだまだ増え続けている(多店舗のチェーン展開FC展開を全部入れたらもっと多い)。

吉村家直系の家系ラーメン店

2023年12月現在

 代表的な店は、ほかに「六角家」「本牧家」「近藤家」「寿々喜家」「介一家」など。そのほとんどが店名に「家」が付いていることから家系と呼ばれているわけだが、そうでない家系もある。例えば「しらいし」「大ちゃん」「ONOMICHI」などがそうである。
※家系初期の代表店3店(吉村家・六角屋・本牧屋)を指して「家系御三家」という。六角屋と本牧屋はすでに閉業している。

 さらには、見た目がそっくりで、しかも店名に「家」が付いているにもかかわらずその出身が家系ではない、いわゆる便乗商法的な店も少なくない。ある程度までは、系図的な追っかけもできていたが現在ではほとんど摑みきれない状況になってしまった。

 いまだに「吉村家」の直系店も増え続けているが、それ以外に増殖中なのが何軒かある。弟子筋で増やしているのが「六角家」「本牧家」。フランチャイズで増やしているのが「石川家」。ここは、元は「吉村家」直系であるが具やメニューを換え、もはや独自路線といってもいい。「元町家」「栃木家」「相原家」などがそうである。    

他の主な家系ラーメン店

1992年創業の「壱六家」は別系統でそこからも「松壱家」「壱八家」「町田商店」など多数輩出されている。またさらに「たかさご家」からの流れである「武蔵家」の出身者が多数活躍しており、「武道家」「輝道家」「谷瀬家」「麺家黒」などが一例である。 

壱系

フランチャイズ展開

たかさご家系

家系ブームの流れでこれらの主流店で修業せずに「家系」を名乗る店も増え、家系戦国時代を迎えた。このブームに目を付けた企業が家系の多店舗展開を始めたりした。そんな流れの中、逆に店名に「家」を付けない店や「家系」すら名乗らない店すら出てき始めた。これはある意味、「家系」の定着でもあり、全国的な浸透である。結局、この「豚骨醤油味」というのは多くの人に受け入れられる味で全国に増えつつある。

「家系ラーメン」の特徴とは?以前は店名に「家」が付くのが一番の特徴だったが最近は付いてない店も増えて来た。スープは豚骨を中心に鶏ガラをガンガン炊きだし、そこに醤油ダレを強めに合わせたタイプのラーメン。営業時間中でもガラの入れ替えや追加を行い、見た目には苦手な人も少なくない。

油は鶏油(チーユ)であることが重要。豚骨ベースのスープ(鶏ガラも使っているが)に鶏油を合わせるという発想がユニーク。中太のストレート麺で一般的なラーメンの麺よりも長さが短めなのが大きな特徴。酒井製麺(製麺所)の麺が多く、ここの麺を使っているかどうかで昔は主流かどうかを判断できた。

具はチャーシューとほうれん草、海苔。メンマがないのも特徴。麺の茹で方(固め・普通・柔らかめ)、味(タレ)の濃さ(濃いめ・普通・薄め)、油の量(多め・普通・少なめ)を選択できることも大きな特徴。また調味料を多数用意してあり、好みのスタイルをカスタマイズできる。

例:おろしニンニク、生姜、豆板醤、酢、胡椒、すり胡麻。

ライスを用意してある店がほとんどで店によっては無料の場合もある。ここにスープに浸った海苔やチャーシューをのせてミニ丼にして食べる人が多い。チャーシューは以前はほとんどが煮豚だったが、最近は焼き豚にする店も少なくない。「壱系」ではうずらの卵があること、塩味があることが大きな特徴であり個性。

その他の代表的な家系ラーメン店の例

多店舗展開している家系ラーメン店グループの例

地域に根ざし、駅前や国道沿いなどにも多数チェーン展開しているグループがあり、その出店の勢いは「家系」という一つのスタイルの人気をうかがわせる。

2023年12月現在

とにかく人気な家系ラーメン。店舗や系譜に関しては横浜情報媒体「はまれぽ」さんの以下のリンクをご参照ください。
※全てを網羅したものではありませんのであしからず。
https://hamarepo.com/iekei_kakeizu/

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東京ラーメンとは

オーソドックスな醤油ラーメンであり、日本式ラーメンの原型とも言える存在。「中華そば」「支那そば」の呼び名でも表示される。1910年に当時流行の最先端だった浅草に店を構える「来々軒」が発祥とされており、叉焼(チャーシュー)、支那竹(メンマ)を初めてトッピングするなど、日本式ラーメンの基礎を築いた店とされる。鶏ガラを中心に野菜や豚骨でじっくり煮出した透明感のあるスープを使用し、麺はスープに絡みやすい中細の縮れ麺が一般的である。また、近年は動物や野菜のダシに加え、魚介をスープのダシとすることが多い。

様変わりする「東京ラーメン」

古くから「東京ラーメン」というのは間違いなく存在していた。それらはあっさりとした醤油味に細めの縮れ麺、シンプルな具で構成される。スープは煮干しや昆布など海産物系が使われ、弱火で煮出した透明感のあるスープが特徴である。しかし、いまの時代、東京で食べられるラーメンに関していえば、無国籍・全国版である。ほとんどどこの地域の麺類でも食べられるようになった。全国各地の有名店が次々と都内に出店し、群雄割拠の様相を呈している。

浅草の「来々軒」が東京初のラーメンと言われており、1910年の開店。日本のラーメンブームの発祥と言われる。現在は店を閉めてしまったが、その流れを汲む店が千葉の稲毛にあり「進来軒」として現在も東京ラーメンを出している。

その後、東京では多発的にラーメン店が登場した。老舗では「大勝軒」(人形町:1912年)、「萬福」(銀座:1929年)、「春木屋」(荻窪:1949年)など。老舗の「萬福」はすでに三代目になるが昔とかわらぬ味を銀座で提供し続けている。三角形の卵焼きが印象に残るラーメンである。

ラーメンジャパン / ラーメン店の例

東京の老舗ラーメン店の例 

背脂チャッチャ系

一方、背脂チャッチャ系の元祖である「ホープ軒本舗」(吉祥寺:1938年)から「ホープ軒」(千駄ヶ谷:1960年)や「土佐っ子」(ときわ台:1970年頃)が誕生し、東京背脂系を形成する。
「ホープ軒」からは「弁慶」(堀切:1972年)、「香月」(恵比寿:1973年)など、一世を風靡するお店も誕生した。
※背脂チャッチャ系とはスープにコクを出す為、煮込んだ豚の白い背脂をスープに入れること。網で背脂をチャッチャッと振りかける動作(音)から定着した呼び名。

東京背脂系ラーメン店の例

荻窪ラーメン

荻窪では「春木屋」以外に「丸福」「丸長」「丸信」「佐久信」「二葉」「漢珍亭」などの人気店があり、荻窪ラーメンという名称で呼ばれていた。(漢珍亭、佐久信 閉店) どちらも老舗で「春木家本店(1931年創業)」と「春木屋 荻窪本店(1949年創業)」があるが兄弟親戚関係で独立採算なのでどちらも本店と名乗っている。

荻窪ラーメン店の例

「丸長」からつけめんの「大勝軒」が分かれていき、こちらも後に一大勢力になっていく。1990年代には車で食べに行くことも多かったため街道沿いに人気ラーメン店が集中した。環七ラーメン戦争などという言葉が生まれたのもこの頃である。

環七ラーメン戦争

環七ラーメン戦争とは1990年代初頭、東京の外側を半周する都道「環七通り」沿いに出現した数々のラーメン店とその熱気と人気を指す。深夜まで路上駐車の列ができ、住人との揉め事も起き、社会問題となる。全盛期には100軒以上のラーメン店がしのぎを削ったとされ、今でも70軒以上のラーメン店が営業する激戦地との事。当時の代表店「なんでんかんでん」「土佐っ子」は閉業して後継店が別の場所にできているが、当時から根強く現在も営業している店舗があるので例として店舗を以下に示します。

1986年「食材の鬼」と呼ばれた佐野実氏の「支那そばや」(藤沢→横浜)の登場により、ラーメンに対する「こだわり」が芽生え始めた。

96年組

1996年に創業した「麺屋武蔵」(青山)「青葉」(中野)「くじら軒」(横浜)の存在が後に影響を与えることが多く(96年組と呼ばれている)、インターネットの普及とともにラーメンも大きく進化・発展していった。店舗数も県別では圧倒的で最近では若い人の出店も多く、最新のトレンドを生み出している。

中国から伝来したラーメンに「醤油」を使うことで「日本式ラーメン」が誕生したと言われている。東京におけるラーメンの特徴は「醤油」であろう。スープは鶏ガラベースで豚骨を加える場合でも清湯(半透明の澄んだスープ:醤油色)が多く、そこに野菜や魚介系の和風出汁などを加えるのが一般的。煮干しや鰹節など魚介系もよく使われていた。
96年組(創業年)と呼ばれている「麺屋武蔵」や「青葉」は動物系と魚介系を別取りし、直前にブレンドするという方式で香りを立たせていた。それを「Wスープ」と呼んでいる。

11年組

2000年に入ってからは若い店主が店を出すことが増え、斬新なラーメンが増えていった。特に2011年に創業した「ソラノイロ」「くろき」「マタドール」は11年組と呼ばれ、新しいスタイルを築き始めた。

多様化・原点回帰・進化

2015年には世界で初めてラーメンがミシュランで星を獲り、世界的にも注目された。千円の壁と言われていたが、もはや人気店では千円超えを果たしている。最近では「原点回帰」などという言葉とともに見た目は昔懐かしいタイプに見えるラーメンも増えてきたが出汁の取り方や、スープの濃度(清湯でも高い濃度がある)に大きな違いがあり、原価の掛け方が変わってきた。また醤油その物にこだわったり、香味油にも工夫するようになってきた。

水と鶏しか使わない「水鶏系」という言葉が出てきたのも最近だ。鶏ガラだけではなく、丸鶏を使ったり、産地を厳選したり、こだわりにはとめどない。

新しいタイプの醤油(東京)ラーメン店 例

水鶏系ラーメン店 例

約2000店、おそらく世界で一番多くのラーメン店が存在する東京。今後も進化を続けるでしょう。

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佐野ラーメンとは

栃木県佐野市が発祥のラーメン。青竹打ちと呼ばれる、麺生地を伸ばしながら打つ製麺技法で作られる自家製麺が特徴。加水率が高く弾力が強い麺が使用されるため体重をかけて伸ばす「青竹打ち」が採られている。麺の形状は平打ちが多く、スープは豚骨や鶏ガラを使ったコクのある醤油味が多い。

青竹打ちの多加水麺が魅力

 青竹打ちで、幅広のピロピロした麺が佐野ラーメンの大きな特徴である。加水率はかなり高く(50%近いものもある)、食感は柔らかい。店によってはとろけるような感じで出てくるものもある。スープは鶏ガラベースの透明感のある醤油味。具は、チャーシュー、メンマ、ナルト、ネギといたって普通。市内には200軒近くのラーメン店があり、ラーメンの街なのである。これだけ多くのラーメン店が存在するのには理由がある。喜多方同様、美味しい水だ。佐野の麺とスープは日本の名水百選に数えられる湧き水を用いて作られる。

佐野ラーメン青竹打ちの解説動画

 佐野ラーメンの歴史は古く、大正5年頃(1916年)にはラーメンを取り扱った洋食店「エビス食堂」があった。この流れを汲んで昭和5年(1930年)に「宝来軒」が誕生する。また昭和九年には「精養軒」が開業する。このあたりかが佐野ラーメンの元祖的存在である。

 ラーメンフリークの間でいちばん人気の高いのは「とかの」だ。席数が少ないことや混んでいても同時に何杯も作らないこだわりもあって、週末はいつも行列。その日の麺がなくなったら営業終了である。昼過ぎにはなくなることが多い。洋食出身の店主が作る綺麗な色をしたスープに、手打ち麺にしてはやや細めの麺が特徴。シンプルながらも抜群の味わいである。(※現在は閉店)

 柔らかい大判のバラチャーシューの旨さで人気を獲得、店舗を増やしているのが「おやじの店」。もともとは屋台だったが、今では50席を持つ繁盛店に成長した。長男が経営する二号店、次男が経営する三号店とあり、いずれも人気店となっている。

「森田屋総本店」は、その暖簾を多くの弟子たちに譲り渡している佐野の代表店。ここ総本店は100席近くあり、家族連れにも人気だ。 職人技の青竹打ちによる麺の評判が高いのは「岡崎麺」。一晩寝かせることにより、独特のコシを出している。 製麺所に勤めていた麺の専門家が出したお店が「太七」。さすがに麺のスペシャリストだけあって、麺が旨い佐野においても抜群の旨さである。酒を少々加えて、青竹で打ったあと三日間寝かせるのがポイントだとか。

おやじの店2号店(昌)チャーシューメン … 肩バラを使った柔らかいチャーシューが人気。元々は屋台から始まったが、 その味は3号店にまで広がった。

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老舗の佐野ラーメン店

人気の佐野ラーメン店

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喜多方ラーメンとは

福島県の喜多方市発祥の郷土食。喜多方ラーメンの元祖といわれる「源来軒」は1925年に開店しており、数あるご当地ラーメンの中でもかなり古い部類に入る。

特徴は加水率の高いもっちりとした極太の幅広い平打ち麵、スープは澄んだ醤油味。豚骨と煮干しをブレンドした出汁が多く見られる。飯豊山(いいでさん)から流れる名水を使っているので麵もスープも生きてくる。そのため東京にある喜多方ラーメンは現地から麵もスープも輸送している場合が少なくない。チャーシューはバラ肉の煮豚が多く、普通のラーメンにも四~五枚のる店が多い。チャーシュー好きの人間には嬉しいことだ。ましてやチャーシュー麺(店によってはメニュー名が「肉そば」)の場合は20枚近くのる店もあり、頼む前に要確認。

喜多方では、なぜか、朝早くからやっているお店が多いのが特徴。これは朝食としてラーメンを食べていたかららしい。 また、店名に「食堂」とつくお店が多い。これは田舎である喜多方に蔵の写真をとる観光客が来るが、ファミリーレストランなど少なく、食事をとるには大衆食堂に行き、またそこの代表的なメニューが喜多方ラーメンだった、その名残との説がある。

もっちりとした幅広麺とチャーシューがたまらない

人気があるのは全国にフランチャイズ展開している「坂内」の本家筋にあたる「坂内食堂」。ここは喜多方でも珍しい塩ラーメンが基本である(といっても醤油も少々使っている)。「坂内」や「小法師」(「坂内」の系列店)が完全に醤油なので、それに慣れた人が「坂内食堂」で食べるとちょっと驚くことであろう。「坂内食堂」「坂内」「小法師」に共通で人気なのが肉そば。丼の一面にたっぷりのバラ肉チャーシューが入っている。喜多方のラーメン店は朝が早いことでも知られているが、ここ「坂内食堂」は7時開店。喜多方の中でも特に早いほうである。

「坂内食堂」と人気で双璧なのが「まこと食堂」。ここは座敷になっており、キャパシティも大きく、観光バスが寄ることもある。スープは豚骨清湯と煮干し。オーソドックスな醤油味だが、コクがあり、スープまで飲み干していく客も多い。自家製のチャーシューはバラ肉7割に対してもも肉が3割。全国発送の通販もやっている。しかしこの老舗店は2023年秋、惜しむらくは76年の歴史に幕を閉じた。

新横浜ラーメン博物館の開館当時に入っていたことで知名度を上げたのが「大安食堂」。一階が駐車場になり、店舗は二階にあるという変わり種だったが今は斜向かいの土地に移転して営業。
雑誌のアンケートで喜多方で一番になったこともある「上海 (老舗 上海)」は、女性創業者から女性店主に引き継がれている味。内装や器などにも女性店主なりの気遣いが感じられる。もともと幅広の太麵が多い喜多方の中でもいちばん太いと思われるのが「食堂なまえ」。極太手打ち麵と黄金色のスープが人気だ。

JR喜多方駅から徒歩圏内に数多くの店がひしめき合っているので、電車での観光でも十分に楽しめる。

少し時間があれば隣町の会津坂下に足を運んで、「食堂いしやま」の冷やしラーメンを食べていただきたい。ここは冷やしラーメンの元祖といわれる山形の「栄屋本店」が冷やしラーメンをはじめた昭和27年(1952年)から、同じく冷やしラーメンを提供している。製法、味共にまったく違うので、おそらくどちらもオリジナルであると思われる。「食堂いしやま」も知られざる元祖といっていい。また会津若松にも人気のラーメン店、老舗ラーメン店がたくさんある。

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喜多方ラーメンは市内に100軒ほどあるラーメン店をまとめて「喜多方老麺会」という組合を持っている。地図などガイドマップを公開しているので是非参考にどうぞ。

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仙台ラーメンとは

宮城県の仙台市周辺で食されてきたラーメン。ご当地ラーメンとしてはこれ、という定義的な仙台ラーメンはない。しかしラーメン店舗は多い。近年では昔からの特産品「仙台味噌」をベースにした辛めの味噌ラーメンを仙台ラーメンとしている傾向もある。

さまざまなタイプが楽しめる街

 仙台にはご当地ラーメンも地ラーメンといわれるものもない。しかしラーメン文化がないわけではない。それは青葉区の一番町や国分町を歩いてみるとわかる。とにかくラーメン店が多いのだ。(※2021年仙台市351店舗)繁華街にこんなにラーメン店が多いのに、特徴のあるラーメンが育っていない、というのは面白い。これはある意味、大阪のラーメン文化に似ている。いろんなラーメンがあるが故に大きな特徴が見出せないのである。
 大阪を無理矢理ライト豚骨の街と定義するなら、仙台はあっさり醤油系だろうか。「志のぶ」「八千代軒」「岳陽楼」「徐州楼」、それといくぶん中華系のような気もするが「成龍萬寿山」などもそうだ。
 麺もやや白っぽく細めで柔らかいのが多い。これらは、わりと歴史がある店に多く仙台のラーメンのベースはここらにあるのではないかと思う。こういうラーメンがご当地または地ラーメンとして定着していないのは、そのスタイルがあまりにも地味だからかもしれない。しかし、食べてみると懐かしさを感じると共に、ホッとする、今風に言えば「癒し系」のラーメンである。インパクトや「食ったぁ~」という満足感はあまりないかわりに、毎日でも食べられそうな、身近なラーメンなのである。それでいて味わ深いのだから、これは歴史のなせる業なのか。
 しかしこうした土地柄だからなのか、他の地域からの吸収がうまい。たとえば、国分町で人気の「仙台っ子」は、見るからに横浜の家系である。しかし、家系で修行をしたものではないようだ。食べてみると、家系以上に濃厚なスープなのである。中途半端な家系が進出してきても負けてしまうような気もする。
 カップ麵にもなった「味よし(国分町味よし)」は、辛味噌で人気の店で店舗も増やしている(紛らわしいのは同じ「味よし」という名で違う系列店(中倉系)があることだ…)国分町味よしは山形・赤湯の「龍上海」をモデルにしていると聞く。(現在はキッチンカーで営業)
 京都本店の「天下一品」ですら、仙台に来ると「天下一品こむらさき」(※現在は閉店)となり、例のドロドロスープのメニュー以外にもオリジナルメニューが豊富で、全国にある「天下一品」のなかでもこれは大変珍しいと思う。社長がチャレンジ精神旺盛で、他にもラーメン店を経営しており、香港でしか獲れない鮃の煮干しを使ったり、和歌山ラーメン・久留米ラーメンなどにもチャレンジしている。
「芳々亭」(※現在は閉店)は店内に入るとかなりの豚骨臭がするほどの博多系だった。麵もしっかり硬めに茹であげてくれる本格派である。
 米沢ラーメンで人気の「北〇」、東京の背脂チャッチャ系を仙台流にアレンジした「六三四」もある。「山頭火」「ちばき屋」など他地域の有名店の支店も頑張っており、ラーメン人口は決して少なくない街だと思う。

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老舗の仙台ラーメン店の例

その他人気の仙台のラーメン店の例

首都圏で仙台・宮城のラーメンを提供するお店の例

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十文字ラーメンとは

秋田県横手秋田県横手市十文字地域を中心とする地域で食されるラーメンで、「十文字中華そば」とも表する。あっさりとした醤油味で煮干や鰹節などを出汁に使用した和風のスープと、カンスイを全く用いず独特の食感をもつ細い縮れ麺が特徴である。また、具材に関してはチャーシュー、ねぎ、メンマのほかに店にもよるが麸と蒲鉾が入るのも特徴である。

細めの手揉み麵、あっさり醤油

秋田県は南部に位置する十文字町に、ご当地ラーメンとまではいえないが、しっかりした「地ラーメン」(意味合いとしては、「ご当地」よりはもっと狭い範囲ながら、明らかに根付いている同系統のラーメンのこと)がある。町の名前を取って「十文字ラーメン」と呼ぶ。人口15,000人程の町にラーメン店は50軒もある。

その特徴は、カンスイを抑えた細めのちりちり麺(手揉み麺)を使い、イワシの焼き干しに鰹節と昆布がベースのあっさり醬油スープ。具はチャーシュー・メンマ・海苔の他に麩とかまぼこ(もしくはなると)がのる。昭和初期、多くの人が行き交う十文字で一人の中国人が引いていた屋台のラーメンが評判になったことから始まったと言われる。

代表的なのは「マルタマ」「丸竹食堂」「三角そばや」の三軒である。いちばん古いのが「マルタマ」。三軒とも古いが「マルタマ」は創業1934年なのでもうかれこれ90年近くになる。同じく70年以上経っているのが「三角そばや」。店名はそば屋だがれっきとしたラーメン専門店であり、メニューには中華そばの普通、中、Wとチャーシューメンの普通と中しかない。「丸竹食堂」は、豊富なメニューと広い店内で日曜などはてんてこ舞いである。こちらも70年近く経っている「三角そばや」と「丸竹食堂」には、スープ入りの冷やし中華そばがある。

創業年度を考慮すると、冷やしラーメンの元祖といわれている山形と同時期か、もしくはこちらが古いかもしれない。小さな町ながら、ラーメンにおいては歴史的な町かもしれない。

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その他市内の十文字ラーメンを提供するお店の例

その他の地域の十文字ラーメン店の例