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ラーメンペディア

徳島ラーメン(徳島県)

ご当地ラーメン探訪

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徳島ラーメンとは

徳島県のご当地ラーメンである。大きく白・茶・黄の三系統に分けられるスープとトッピングされる肉(豚バラ肉)や生卵などが特徴。すき焼き風のラーメンとも認識される。日本ハムの前身、徳島ハムの工場があったため豚骨が安価に手に入り、豚骨をベースとするラーメンが発生した。

鳴門系、徳島系、小松島系

 半世紀近い歴史がありながら、「徳島ラーメン」という名前はあまり知られることがなかった。1998年、新横浜ラーメン博物館に「いのたに」が紹介されたことでその名は注目され、マスコミでも随分と紹介されるようになった。特に地元のタウン誌である「あわわ」の活躍が大きいように思われる。
 徳島ラーメンには三系統のスープがある。鳴門を中心とした黄色いスープ。徳島を中心とした茶濁のスープ。そして小松島方面の白濁スープである。
「いのたに」が徳島の茶濁のスープなので、紹介されたのはこの系統のスープが多い。
●豚骨ベースで甘辛いスープ。
●麺は啜りやすいようにか、長さが短い。
●そして最大の特徴はチャーシューの代わりに入れる、バラ肉を濃厚なタレで煮込んだもの。スープも含めてすき焼き風ラーメンといわれる所以である。
●さらに、トッピングの玉子はゆで玉子ではなく、生玉子である。これもまたすき焼きに通じるか。
この生玉子と煮込んだバラ肉という他では滅多にお目にかかれない具が徳島の大きな特徴であろう。
 徳島系(茶濁スープ)の代表店は「いのたに」と「広東」。前者は新横浜ラーメン博物館に入ったことにより全国的な知名度を上げた。徳島ラーメンの個性的な特徴に自家製麺がバランス良く馴染んでいる。「広東」は中国料理店ではなく、れっきとしたラーメン店である。またすき焼き風のラーメンスタイルはこのお店が始めたとされる。
創業は「いのたに」とほぼ同じ(1966年/現在閉業)。
 また、若干、徳島ラーメンの特徴とは違うが、老舗の「よあけ」がある。あっさり無化調スープが特徴だ(黄系)。こってり濃厚背脂スープが特徴の「土佐」は、その店内の古さも見応えがある。最近、ニューウェーブとして人気上昇なのが「古家」。エンジニア出身の店主が徳島の味を受け継ぎながら、独自性を発揮しているた(閉業)。
 鳴門系(黄色スープ)の代表は鳴門の「三八(さんぱ)」。豚骨・鶏ガラをベースに薄口醤油を加えることでやや黄色く見えるちょっと甘めのスープ。ここの修業を経て、大阪で独立したのが「友翔」。
「三八」の味を見事に再現し、関西の人気店になっていた(2014年閉業)。
 小松島系(白濁スープ)の代表は「岡本」。この小松島系(1949年頃から屋台で始まる)が徳島ラーメンのルーツという説がある。
 徳島に豚骨ラーメンが広がったのは、日本ハムの前身である「徳島ハム」の工場があったことで、安い豚骨が大量に供給されたからといわれている。しかし、徳島ラーメンブームにより、徳島では新しい店が続々新規開店し、豚骨不足という現象が起こるまでになった。
 ではなぜそもそも徳島に徳島ハムの工場ができたか。第1次世界大戦のときに鳴門にドイツ兵の収容所がつくられ(1914年)、日本はドイツ人捕虜に可能な限り自由な活動を許した。村人との交流が進み、そのときに伝わったハムなど食品加工技術が受け継がれ、1942年徳島ハムが設立された。また同様にパンの技術も伝えられ現存している(鳴門市 ドイツ軒)。また、これらのエピソードは2006年に映画化された「バルトの楽園(松平健 主演)」に表現されている。

 都内では徳島ラーメンブームと時を同じくして「うだつ食堂」が開店した。BGMは阿波踊り。また横浜には「徳福」が開店した。首都圏には数件しか見当たらず、徳島ラーメンブームも沈静化していった。
また、徳島ラーメンは海を渡った大都市大阪に進出、開業する傾向がある。

ラーメンジャパン / ラーメン店の例

【徳島系(茶濁スープ)】の徳島ラーメン店の例

【鳴門系(黄色スープ)】の徳島ラーメン店の例

【小松島系(白濁スープ)】の徳島ラーメン店の例

他地域で食べられる徳島ラーメン店の例