
竹岡(式)ラーメンとは
東京湾に面した千葉県の内房海沿い、富津市の竹岡地域を発祥とするラーメン。「梅乃家」が発祥とされている、ダシを使わず「チャーシューを煮込んだ醤油ダレをお湯で割っただけ」という、真っ黒で塩辛いスープが特徴の独特な製法の地ラーメン。千葉の三大ご当地ラーメンの一つ。

竹岡式ラーメン店の分布
麺を茹でたお湯とチャーシューの煮汁で作る醤油ダレだけで、スープを構成。黒く塩辛い。梅乃家では乾麺を使用。薬味には角切りにしたタマネギを使う。元祖の梅乃家及び鈴屋と違い、派生店では生麺や昆布ダシを使用するなど、その店独自の工夫をこらしている場合がある。
常識破りの地ラーメン
ご当地ラーメン(地ラーメン)は、県または市(まれに町)単位で盛り上がっているのが普通である。しかし、この「竹岡」は、千葉県の木更津の南にある富津市の一地名である。にもかかわらず、竹岡系といういう名称もあるほど、地ラーメンとして定着しているのだから面白い。
代表的な店は「梅乃家」でここが竹岡式の元祖といわれている。ここのラーメンには、ラーメンの常識を覆す特徴がある。ダシがお湯なのである。いや、お湯だから「ダシ」とは呼ばない。ラーメンづくりのポイントである「ダシ作り」、これがないのだ。作っているところを見ていると、鍋にお湯を入れ、そこで麺を茹でている。そろそろからな、と思ったときに、麺を丼に入れるのはまあ普通として、そのまま茹で湯も一緒に入れてしまったのである。「入れてしまった」という表現は、お店が手抜きをしているようで正しい表現ではない。そのようにしてお湯で醤油ダレを薄めるのがここの正しい作り方でなのである。そう、まるでインスタントラーメンを作るかのように。
そして、さらにインスタントラーメン的なのが麺。ここ「梅乃家」では、乾麺を使っている(営業開始時間から少しの時間は生麺を使うという話も聞く)。そう、見るからにインスタント的なラーメンなのである。しかし、醤油の産地・千葉だからこそ、なせる業なのか、それでいて、意外に美味しいから驚いてしまう。乾麺で作るお湯ラーメンなのに、である。
もっとも、竹岡ラーメンの中で乾麺を使っているのは、あまりない。しかし、その多くは「お湯ラーメン」を受け継いでいる。同じ竹岡にある「鈴屋」、木更津にある「富士屋」「佐藤君 (※君津にかめちゃんとして移転」」、その名も「竹岡らーめん」(ここはチェーン店で多店舗展開中)などである。薬味にはタマネギの微塵切りを使うが、濃い目の醤油味にこのタマネギが良く合う。
ラーメンジャパン / ラーメン店の例
竹岡(式)ラーメン店の例
他地域にある竹岡式ラーメン店の例
竹岡式ラーメンを提供するお店は、漁師のまかない飯として作られた側面があるため、千葉県の内房海岸沿いにあるが(上の地図参照)、一部東京や離れた場所でも営業しているのを見つけることができる。

地ラーメンとしての「サンマー麺」と全国区に広がった「家系ラーメン」
サンマー麺とは
サンマーメン、さんまーめん、漢字では「生碼麺」「生馬麺」「三碼麺」と表記される。サンマ(秋刀魚)とは無関係。広東語で「生」(新鮮でシャキシャキした素材)を「馬」(上に乗せた)麺の意味。発祥は戦前の横浜中華街、当時の中華料理店の賄い料理であったとろみの付いた肉そばが原型とされ、戦後にメニューとして成立していった。塩味か醤油味に細麺を使い、もやし、豚肉、キクラゲ、白菜、ニンジン、葉物野菜など、色取り取りの食材を炒めた物に餡をかけるのが基本的なサンマー麺。
サンマー麺の主なお店の例

横浜 家系ラーメンとは
神奈川県横浜市「吉村家」発祥(1974年)の、スープが豚骨醤油ベース、麺は太麺のストレートが基本となっているラーメン。その特徴を有するラーメンおよびそのラーメン店群を横浜家系・家系と呼ぶ。味の濃さ、脂の量、麺のゆで加減など、ラーメンを構成する要素をお客が好みの味や食べ方に調整できるようになっている店舗が多い。多数の亜流と企業として多店舗展開するお店(資本系)がある。
さっぱり醤油から「家系」へ変貌
横浜は中華料理が最初に到着した街でもある。だから、ラーメンも最初であろうと想像できる。中華料理用の清湯スープにストレート麺。これが元祖横浜ラーメンである。「玉泉亭」は1918年に創業した老舗だが、今でも懐かしい味をだしている。そして、地ラーメンとして、あんかけ野菜(モヤシが中心)が具となった「サンマーメン」がある。
しかし、今、「横浜ラーメン」といえば家系と呼ばれるラーメンのことを指す。新杉田で1974年に吉村実氏が創業した「吉村家」が総本山(現在は横浜駅近くに移転)。吉村実氏は当時長距離トラックの運転手だったが、趣味で密かに研究を重ねていた九州の豚骨ベースと東京の醤油ベースを組み合わせたスープを開発し、ラーメン業界に挑戦した。いわば「脱サララーメン」。
基本形は、ストレート・短めの極太麺。豚骨と鶏ガラを大量に使った旨みの濃い醤油味のスープに大きな海苔の組み合わせである。食べ手の好みで、麺の茹で具合、脂の量、味の濃さが選択できる。歴史は長いがここ数年で増殖し、全国で250軒とも300軒ともいわれており、まだまだ増え続けている(多店舗のチェーン展開FC展開を全部入れたらもっと多い)。
吉村家直系の家系ラーメン店
2023年12月現在
代表的な店は、ほかに「六角家」「本牧家」「近藤家」「寿々喜家」「介一家」など。そのほとんどが店名に「家」が付いていることから家系と呼ばれているわけだが、そうでない家系もある。例えば「しらいし」「大ちゃん」「ONOMICHI」などがそうである。
※家系初期の代表店3店(吉村家・六角屋・本牧屋)を指して「家系御三家」という。六角屋と本牧屋はすでに閉業している。
さらには、見た目がそっくりで、しかも店名に「家」が付いているにもかかわらずその出身が家系ではない、いわゆる便乗商法的な店も少なくない。ある程度までは、系図的な追っかけもできていたが現在ではほとんど摑みきれない状況になってしまった。
いまだに「吉村家」の直系店も増え続けているが、それ以外に増殖中なのが何軒かある。弟子筋で増やしているのが「六角家」と「本牧家」。フランチャイズで増やしているのが「石川家」。ここは、元は「吉村家」直系であるが具やメニューを換え、もはや独自路線といってもいい。「元町家」「栃木家」「相原家」などがそうである。
他の主な家系ラーメン店
1992年創業の「壱六家」は別系統でそこからも「松壱家」「壱八家」「町田商店」など多数輩出されている。またさらに「たかさご家」からの流れである「武蔵家」の出身者が多数活躍しており、「武道家」「輝道家」「谷瀬家」「麺家黒」などが一例である。
壱系
フランチャイズ展開
たかさご家系
家系ブームの流れでこれらの主流店で修業せずに「家系」を名乗る店も増え、家系戦国時代を迎えた。このブームに目を付けた企業が家系の多店舗展開を始めたりした。そんな流れの中、逆に店名に「家」を付けない店や「家系」すら名乗らない店すら出てき始めた。これはある意味、「家系」の定着でもあり、全国的な浸透である。結局、この「豚骨醤油味」というのは多くの人に受け入れられる味で全国に増えつつある。
「家系ラーメン」の特徴とは?以前は店名に「家」が付くのが一番の特徴だったが最近は付いてない店も増えて来た。スープは豚骨を中心に鶏ガラをガンガン炊きだし、そこに醤油ダレを強めに合わせたタイプのラーメン。営業時間中でもガラの入れ替えや追加を行い、見た目には苦手な人も少なくない。
油は鶏油(チーユ)であることが重要。豚骨ベースのスープ(鶏ガラも使っているが)に鶏油を合わせるという発想がユニーク。中太のストレート麺で一般的なラーメンの麺よりも長さが短めなのが大きな特徴。酒井製麺(製麺所)の麺が多く、ここの麺を使っているかどうかで昔は主流かどうかを判断できた。
具はチャーシューとほうれん草、海苔。メンマがないのも特徴。麺の茹で方(固め・普通・柔らかめ)、味(タレ)の濃さ(濃いめ・普通・薄め)、油の量(多め・普通・少なめ)を選択できることも大きな特徴。また調味料を多数用意してあり、好みのスタイルをカスタマイズできる。
例:おろしニンニク、生姜、豆板醤、酢、胡椒、すり胡麻。
ライスを用意してある店がほとんどで店によっては無料の場合もある。ここにスープに浸った海苔やチャーシューをのせてミニ丼にして食べる人が多い。チャーシューは以前はほとんどが煮豚だったが、最近は焼き豚にする店も少なくない。「壱系」ではうずらの卵があること、塩味があることが大きな特徴であり個性。
その他の代表的な家系ラーメン店の例
多店舗展開している家系ラーメン店グループの例
地域に根ざし、駅前や国道沿いなどにも多数チェーン展開しているグループがあり、その出店の勢いは「家系」という一つのスタイルの人気をうかがわせる。
2023年12月現在
とにかく人気な家系ラーメン。店舗や系譜に関しては横浜情報媒体「はまれぽ」さんの以下のリンクをご参照ください。
※全てを網羅したものではありませんのであしからず。
https://hamarepo.com/iekei_kakeizu/

八王子ラーメンとは
東京都八王子市のご当地ラーメンである。濃いめの醤油ダレを使ったスープに、チャーシューやメンマをトッピングし、細かく刻んだ玉ねぎを加えるのが特徴。またスープの表面に脂(ラード)が浮いているのも大きな特徴。
キーワードは「刻みタマネギ」
ご当地というよりは完全に「地ラーメン」であるが、その数は少なくない。元祖は「初富士」で、創業当時は八王子市の子安町にあったことから、地元の一部の人は子安系などと呼ぶ場合がある。ここから「でうら」が独立する。知名度ではいちばんの「みんみんラーメン」をはじめ、「タンタン」「弘富」「トモエ」「武富屋」「杏華」「味幸」「武丸」「一麵」「一陽来福」「おがわ屋」「いぬい」「珉珉(豊田)」など、数多い。今のところ、知っている範囲では八王子ラーメンの最東端が、武蔵境の「丸幸」だ(ただし2001年11月、宇都宮に八王子ラーメンの流れを汲む「巴」ができた)。
特徴としては、なんといっても具の刻みタマネギである。これを使っているかどうかが、八王子系の分かれ道ともいえる。しかしスープの材料は各店様々で、豚骨、野菜、鯖節、鰹節、昆布などからダシを採った醤油味。同じ系統でここまでバラバラなのも珍しい。つまり、これらは「刻みタマネギ」というキーワードで結びついているのである。
スープにはラードを浮かしている。麵はやや縮れた中太麺。また、八王子系の多くが店内にいくつもの(10枚以上、多いところでは20枚以上)カレンダーを掲示しているというのも、ラーメンには関係ないが大きな特徴である。
醤油ベースのタレ(カエシ)に刻みタマネギとラーメン表面を覆う脂(ラード)。これが八王子ラーメンだが、なぜ刻みタマネギとなったのか。
1959年創業の元祖八王子ラーメンの初富士の店主が北海道旅行の際、刻みタマネギを載せたラーメンを食べてヒントを得たという。北海道のお店では刻みタマネギの辛味が残り、これをなんとか取り除けないかと考えた。そこで脂と合わせて、タマネギの食感を残しながら辛味を抑えつつ、タマネギの甘みを引きたてる方法を考案した。そのスープに合うよう地元八王子の製麺所(尾張屋滝井製麺所)が
中華麺を作り、初富士で刻みタマネギ入りの醤油ラーメンを売り出した。
これが、八王子ラーメンの始まりで、その後刻みタマネギ入りのスタイルが八王子で流行し、一つのご当地ラーメンを形成していったのだ。
八王子ラーメンをまとめている団体として「八麺会」
というものがあり、地図や最新情報はこちらも参照されたい。
ラーメンジャパン / ラーメン店の例
八王子ラーメン店の例

東京ラーメンとは
オーソドックスな醤油ラーメンであり、日本式ラーメンの原型とも言える存在。「中華そば」「支那そば」の呼び名でも表示される。1910年に当時流行の最先端だった浅草に店を構える「来々軒」が発祥とされており、叉焼(チャーシュー)、支那竹(メンマ)を初めてトッピングするなど、日本式ラーメンの基礎を築いた店とされる。鶏ガラを中心に野菜や豚骨でじっくり煮出した透明感のあるスープを使用し、麺はスープに絡みやすい中細の縮れ麺が一般的である。また、近年は動物や野菜のダシに加え、魚介をスープのダシとすることが多い。
様変わりする「東京ラーメン」
古くから「東京ラーメン」というのは間違いなく存在していた。それらはあっさりとした醤油味に細めの縮れ麺、シンプルな具で構成される。スープは煮干しや昆布など海産物系が使われ、弱火で煮出した透明感のあるスープが特徴である。しかし、いまの時代、東京で食べられるラーメンに関していえば、無国籍・全国版である。ほとんどどこの地域の麺類でも食べられるようになった。全国各地の有名店が次々と都内に出店し、群雄割拠の様相を呈している。
浅草の「来々軒」が東京初のラーメンと言われており、1910年の開店。日本のラーメンブームの発祥と言われる。現在は店を閉めてしまったが、その流れを汲む店が千葉の稲毛にあり「進来軒」として現在も東京ラーメンを出している。
その後、東京では多発的にラーメン店が登場した。老舗では「大勝軒」(人形町:1912年)、「萬福」(銀座:1929年)、「春木屋」(荻窪:1949年)など。老舗の「萬福」はすでに三代目になるが昔とかわらぬ味を銀座で提供し続けている。三角形の卵焼きが印象に残るラーメンである。
ラーメンジャパン / ラーメン店の例
東京の老舗ラーメン店の例
背脂チャッチャ系
一方、背脂チャッチャ系の元祖である「ホープ軒本舗」(吉祥寺:1938年)から「ホープ軒」(千駄ヶ谷:1960年)や「土佐っ子」(ときわ台:1970年頃)が誕生し、東京背脂系を形成する。
「ホープ軒」からは「弁慶」(堀切:1972年)、「香月」(恵比寿:1973年)など、一世を風靡するお店も誕生した。
※背脂チャッチャ系とはスープにコクを出す為、煮込んだ豚の白い背脂をスープに入れること。網で背脂をチャッチャッと振りかける動作(音)から定着した呼び名。
東京背脂系ラーメン店の例
荻窪ラーメン
荻窪では「春木屋」以外に「丸福」「丸長」「丸信」「佐久信」「二葉」「漢珍亭」などの人気店があり、荻窪ラーメンという名称で呼ばれていた。(漢珍亭、佐久信 閉店) どちらも老舗で「春木家本店(1931年創業)」と「春木屋 荻窪本店(1949年創業)」があるが兄弟親戚関係で独立採算なのでどちらも本店と名乗っている。
当時の荻窪ラーメン店の例
「丸長」からつけめんの「大勝軒」が分かれていき、こちらも後に一大勢力になっていく。1990年代には車で食べに行くことも多かったため街道沿いに人気ラーメン店が集中した。環七ラーメン戦争などという言葉が生まれたのもこの頃である。
環七ラーメン戦争
環七ラーメン戦争とは1990年代初頭、東京の外側を半周する都道「環七通り」沿いに出現した数々のラーメン店とその熱気と人気を指す。深夜まで路上駐車の列ができ、住人との揉め事も起き、社会問題となる。全盛期には100軒以上のラーメン店がしのぎを削ったとされ、今でも70軒以上のラーメン店が営業する激戦地との事。当時の代表店「なんでんかんでん」「土佐っ子」は閉業して後継店が別の場所にできているが、当時から根強く現在も営業している店舗があるので例として店舗を以下に示します。
1986年「食材の鬼」と呼ばれた佐野実氏の「支那そばや」(藤沢→横浜)の登場により、ラーメンに対する「こだわり」が芽生え始めた。
96年組
1996年に創業した「麺屋武蔵」(青山)「青葉」(中野)「くじら軒」(横浜)の存在が後に影響を与えることが多く(96年組と呼ばれている)、インターネットの普及とともにラーメンも大きく進化・発展していった。店舗数も県別では圧倒的で最近では若い人の出店も多く、最新のトレンドを生み出している。
中国から伝来したラーメンに「醤油」を使うことで「日本式ラーメン」が誕生したと言われている。東京におけるラーメンの特徴は「醤油」であろう。スープは鶏ガラベースで豚骨を加える場合でも清湯(半透明の澄んだスープ:醤油色)が多く、そこに野菜や魚介系の和風出汁などを加えるのが一般的。煮干しや鰹節など魚介系もよく使われていた。
96年組(創業年)と呼ばれている「麺屋武蔵」や「青葉」は動物系と魚介系を別取りし、直前にブレンドするという方式で香りを立たせていた。それを「Wスープ」と呼んでいる。
11年組
2000年に入ってからは若い店主が店を出すことが増え、斬新なラーメンが増えていった。特に2011年に創業した「ソラノイロ」「くろき」「マタドール」は11年組と呼ばれ、新しいスタイルを築き始めた。
多様化・原点回帰・進化
2015年には世界で初めてラーメンがミシュランで星を獲り、世界的にも注目された。千円の壁と言われていたが、もはや人気店では千円超えを果たしている。最近では「原点回帰」などという言葉とともに見た目は昔懐かしいタイプに見えるラーメンも増えてきたが出汁の取り方や、スープの濃度(清湯でも高い濃度がある)に大きな違いがあり、原価の掛け方が変わってきた。また醤油その物にこだわったり、香味油にも工夫するようになってきた。
水と鶏しか使わない「水鶏系」という言葉が出てきたのも最近だ。鶏ガラだけではなく、丸鶏を使ったり、産地を厳選したり、こだわりにはとめどない。
新しいタイプの醤油(東京)ラーメン店 例
水鶏系ラーメン店 例
約2000店、おそらく世界で一番多くのラーメン店が存在する東京。今後も進化を続けるでしょう。

佐野ラーメンとは
栃木県佐野市が発祥のラーメン。青竹打ちと呼ばれる、麺生地を伸ばしながら打つ製麺技法で作られる自家製麺が特徴。加水率が高く弾力が強い麺が使用されるため体重をかけて伸ばす「青竹打ち」が採られている。麺の形状は平打ちが多く、スープは豚骨や鶏ガラを使ったコクのある醤油味が多い。
青竹打ちの多加水麺が魅力
青竹打ちで、幅広のピロピロした麺が佐野ラーメンの大きな特徴である。加水率はかなり高く(50%近いものもある)、食感は柔らかい。店によってはとろけるような感じで出てくるものもある。スープは鶏ガラベースの透明感のある醤油味。具は、チャーシュー、メンマ、ナルト、ネギといたって普通。市内には200軒近くのラーメン店があり、ラーメンの街なのである。これだけ多くのラーメン店が存在するのには理由がある。喜多方同様、美味しい水だ。佐野の麺とスープは日本の名水百選に数えられる湧き水を用いて作られる。
佐野ラーメンの歴史は古く、大正5年頃(1916年)にはラーメンを取り扱った洋食店「エビス食堂」があった。この流れを汲んで昭和5年(1930年)に「宝来軒」が誕生する。また昭和九年には「精養軒」が開業する。このあたりかが佐野ラーメンの元祖的存在である。
ラーメンフリークの間でいちばん人気の高いのは「とかの」だ。席数が少ないことや混んでいても同時に何杯も作らないこだわりもあって、週末はいつも行列。その日の麺がなくなったら営業終了である。昼過ぎにはなくなることが多い。洋食出身の店主が作る綺麗な色をしたスープに、手打ち麺にしてはやや細めの麺が特徴。シンプルながらも抜群の味わいである。(※現在は閉店)
柔らかい大判のバラチャーシューの旨さで人気を獲得、店舗を増やしているのが「おやじの店」。もともとは屋台だったが、今では50席を持つ繁盛店に成長した。長男が経営する二号店、次男が経営する三号店とあり、いずれも人気店となっている。
「森田屋総本店」は、その暖簾を多くの弟子たちに譲り渡している佐野の代表店。ここ総本店は100席近くあり、家族連れにも人気だ。 職人技の青竹打ちによる麺の評判が高いのは「岡崎麺」。一晩寝かせることにより、独特のコシを出している。 製麺所に勤めていた麺の専門家が出したお店が「太七」。さすがに麺のスペシャリストだけあって、麺が旨い佐野においても抜群の旨さである。酒を少々加えて、青竹で打ったあと三日間寝かせるのがポイントだとか。
●おやじの店2号店(昌)チャーシューメン … 肩バラを使った柔らかいチャーシューが人気。元々は屋台から始まったが、 その味は3号店にまで広がった。