広島ラーメン(広島県)
広島ラーメンとは
広島ラーメンとは、戦後の広島市を中心とする広島県西部に屋台から発生した醤油とんこつ味のラーメン。「中華そば」と呼称され、広島東部の尾道ラーメンが透明感のある鶏ガラ、小魚出汁の背脂醤油ラーメンなのに対してまったく異なるあっさり味の醤油豚骨味。よく関東と九州の間の味、とも言われている。
麺は細麺か中細麺が多く、柔らかめ。
スープは白濁トンコツに魚介類の複雑なダシを合わせた醤油豚骨スープ。
具材はチャーシュー、ネギ、モヤシ(細モヤシ)が入った、誰からも受け入れられやすい、懐かしい味。サイドメニューにチャーハンや餃子以外におでんを置いてある店もかなり多い。
またつけ麺(激辛冷麺)、汁なし担担麺など他の麺類も古くからある。
歴史のある細麺、豚骨醤油
広島でラーメンが有名な都市は尾道である。しかし、県庁所在地の広島市だって負けてやしない。尾道に匹敵する、いやそれ以上のラーメン都市といってもいいくらいのラーメン店がしのぎを削っている。
その「広島ラーメン」は「すずめ」や「陽気」を代表とする豚骨醤油ラーメンである。「豚骨醤油」と聞くと最近では、横浜家系を思い起こす人も少なくないだろう。しかし、この歴史は意外と長い。そして、麺は細めなのだ。
人気・知名度共に一番なのは、「すずめ」。開店は午後3時。売り切れ仕舞いで午後9時終了。営業時間は6時間と短い。メニューは中華そばとビールしかなく、店内に入るとまず整理券を取る。注文はしなくてもメニューがないのだから順番に中華そばが出てくるのである。その順番を守るための整理券を取る。ユニークであるがなんと分かりやすいシステムであろうか。午後3時の営業というのは朝の8時半から作り始めたスープができ上がる時間だという。豚骨と野菜を煮込んだ白濁スープに醤油ダレを加えた薄茶色のスープに、具はモヤシ、ネギ、小さいが5枚のチャーシュー。シンプルさが特徴である。
人気のある「陽気」も同じスタイルだが、整理券ではない。店に入ると「一杯?二杯?」と聞かれる。やはり営業開始が遅く、午後4時半。
広島ラーメンは沖稔(おき・みのる) 氏が作り、親族が広めた。
第二次世界大戦後、広島は原爆により市内が壊滅し、その復興の際に多種多数の飲食屋台が出現した。ラーメンはそのうちの一つで、中国大陸、満州からの引揚者や中国人が運営していた。広島ラーメンを最初に始めた人は沖稔さんだと言われている。終戦後、中国大陸に渡っていた沖稔さんは、中国人の料理人を伴って帰国。ラーメンの手ほどきを受け、JR広島駅近くで始めた屋台が「上海」。そして昭和25年(1950年)頃に「段原食堂」を開業。頑固で研究熱心な沖さんが試行錯誤の末にたどり着いた味が広島ラーメンの源流・元祖となる。
次男の誠治さんは「しまい」(1957年頃創業)を、妻シゲノさんの姪の関上(沖)タツコさんは「すずめ(寿々女)」(1958年)、タツコさんの姉の津留田マサエさんは「陽気」(1957年)をそれぞれ屋台から開店させる。また、「しまい」の女将さんヒデ子さんの妹が別場所に「しまい」を出し、移転を契機に「乙丸」(1987年)となる。
「しまい」「陽気」「すずめ」「乙丸」は、沖稔さんの味を引き継ぎ、そこに自分なりの味を加えて、今に至っている。そして、これらの味を参考にして多くの店が誕生している。それが広島ラーメンなのである。
しかしながら、すべてがその流れからラーメンができたわけではない。「来頼亭」は、昭和23年(1948年)創業なので、沖稔さんの始めた頃と同じ頃。ここのラーメンは、こってりしているが臭みが少なく、まろやかな味。豚骨ベースに5種類の食材を煮込んでいて、濃厚豚骨スープでドロリとしている。ユニークなのは温かいスープのラーメンには珍しく、具に錦糸玉子がのること。
「上海総本店」は昭和28年(1953年)「上海」という名で創業。沖稔さんが始めた「上海」とは別である。なぜか、広島には「上海」という店名が多いようで1980年頃に「上海総本店」と改めた。ここは、上記の広島ラーメンとは違い、店の近くに行くと強烈に臭うほどの豚骨を使うが白濁スープではない醤油ラーメン。創業からの継ぎ足しスープを使用。
広島には「すずめ」の影響なのか、鳥の名前が付く店が多く、味も同系統の場合が多い。「つばめ」は、「すずめ」の近くにあり、しかも同系統(醤油ダレがちょっと濃いめ)の味なのでなんとなく笑えてしまう。他には「ひよこ」「うぐいす」「チャボ」などもある。広島小鳥系とも言われている。また多数の魚介出汁を客側が選択できる「ふじ☆もと」系の店舗も近年人気で行列を作っている。
ラーメンジャパン / ラーメン店の例
広島ラーメンの元祖・老舗の流れのお店の例
新しいタイプの広島のラーメン店の例
広島は他の麺料理も人気だ。広島うどんやお好み焼きに焼きそば(中華麺)を入れるなど麺類の消費は多い。以下ラーメンの親類としてのつけ麺、汁なし担担麺を記述する。
広島つけ麺 / 激辛冷麺 とは
1954年に広島市中区八丁堀(現在移転し中区河原町)で開店した中華料理店「新華園」が発祥の店とされている。つけ麺と呼ばず「冷麺」と呼び、醤油ベースのつけダレに唐辛子やラー油などを加えた激辛のつけダレで提供する。その河原町本店は撮影禁止など初心者には厳しいルールがあるので理解した上で行かないと失礼になる。(※支店はいくつかある。)
このお店で修行した人物が通年食べられる専門店として1985年「冷めん家」を創業し、人気となり、現在は多数の専門店が鎬を削っている。具としては茹でキャベツや胡瓜、葱、ゆで卵などが添えられる。また辛くない普通のつけ麺を提供する店舗も人気である
広島つけ麺を提供するお店の例
広島で激辛でないつけ麺の人気店の例
広島の汁なし担担麺
本場中国四川の汁の無い担々麺をアレンジしたもので、今では日本全国で食べられる汁なし担担麺(担々麺)。日本に持ち込んだのは1999年創業のラーメン店「きさく」の服部幸一氏とされる。中国人留学生が汁なし担担麺の作り方を教える料理教室に参加したところ、汁なし担担麺の美味しさに感銘を受け、中国にわたり本場四川省の担担麺を食べ歩き研究。低迷していたラーメン店の売上げ回復の打開策として2001年から提供を始めた。人気になり、やがて「きさく」をオマージュした松崎司氏が「くにまつ(2009年創業)」にてオリジナルのレシピで汁なし担担麺を提供開始。汁なし担担麺は激辛つけ麺より辛くなく、食べやすく(あまり撥ねない)、価格も安いので広島ビジネス街で人気となっていった。その後松崎司氏はレシピを公開し、新規に汁なし担担麺を始める店舗が増え、2010年頃にブームとなる。
また日本における担担麺はおおよそ以下のように分けることができる。
①「陳建民式」中国四川省出身の料理人陳建民氏が1950年代に来日し、日本人向けに改良した汁麺としての担担麺(汁あり)
②「東京式」胡麻ペーストや干し海老の風味を加えるなどのアレンジを施したもの。(汁なし)
③「成都式」中華料理店や専門店でつくられる、本場そのままのスタイル。(汁なし)
④「広島式」広島で独自の発展を遂げたもの。(汁なし)
全体としての広島汁なし担担麺は、タレとしてラー油と中国山椒(花椒)の2つをメインにしているのが特徴で、やや低加水の細麺もしくは中細麺を使う傾向がある。「きさく」の特徴は胡麻を使用せず、魚介が濃いスープを使用。他店では胡麻ダレを使うところもあり、味や具材、盛り付けは店によって変化を極める。ピリッと痺れる辛さ、中華料理で言う「麻(マー;シビレ味)」を重視しているのが共通点だ。