新潟ラーメン (新潟県)
新潟ラーメンとは
新潟の5つの地ラーメンを総称して新潟5大ラーメンなどと呼ぶ。「新潟あっさり醤油ラーメン」「燕三条背脂ラーメン」「長岡生姜醤油ラーメン」「新潟濃厚味噌ラーメン」「三条カレーラーメン」を指す。
煮干し、背油、味噌のどれも逸品
「新潟ラーメン」という言葉は存在しない。残念ながらご当地ラーメンの一地区として、漏れてまったのだ。しかし、ここ新潟はあなどるべからざるラーメンの地なのである。かくいう私も最近まとめて食べに行って気が付いたことである。
新潟市に最初にラーメンが伝わったのは昭和2年(1927年)「保盛軒」の誕生による。すでに100年近く、歴史としても他のご当地よりも古い。スープは鶏ガラベースに煮干しを効かせたもので、これが新潟市に多い煮干し系に流れていったと思われる。繁華街古町で少し高級そうな純北京料理店の店構えで営業していたが、老朽化のため2002年に移転。西区ときめきの住宅街にカジュアルな町中華として営業中。
煮干し系の老舗では他に「三吉屋」がある。あっさり醤油味で煮干しが効いたスープ。これが新潟市には多い。すぐ近くに似たような名前の「信吉屋」という店があり、関連があると思って聞いてみたら無関係らしい。でも、同じ煮干しダシ。こちらはやや透明感のあるスープで塩と醤油の中間くらいか。本町中央市場にあり、周りの風情と共にぜひ経験しておきたい一店だ。「石門子(せきもんし)」(現・閉)も煮干しが効いたスープ。ただし、隠し味に自分で採った貝類を加えているようで、それで深みが出ている。
朝七時から営業していることでも有名な「中華のカトウ」(現・閉)は、鰹と煮干しの蕎麦風味。創業当時からの自家製麺にも特徴があり、その面がなくなる昼過ぎで営業が終了してしまう面白い店である。貝の穴あきナルトも珍しかったが、最近では訳あって使わなくなったらしい。
「天龍」(現・閉)なども煮干し系の老舗の一つである。市内では他に「丸木屋」(無化調・ログハウス的内装)や「おざわ」(無化調・昔風内装)、「ばすきや」(自家製カレーが人気)などのニューウェーブが台頭しているが、やっぱりどこも煮干し系である。そうした煮干し系の中で強烈に印象に残っているのが「来味」と「味みつ」。この二軒は、混んでいても行列していてもラーメンは一杯ずつ作ることを徹底している。まさに「一杯入魂」である。作るところを見ていても感動モノだが、当然ながら出てきたラーメンは驚愕の逸品であった。
話が長くなったが、これまでの話すら新潟の一面でしかない。
次は背脂系。背脂とえば東京の「ホープ軒」をはじめとする背脂チャッチャ系や、京都の「ますたに」を本流とするますたに系がある。どっちが元祖だ、という論議もあったが、新潟にはその両地区よりも古くから背脂系があるのである。
元祖は燕市にある「福来亭」(現・閉)。創業が昭和初期(1932年)。ここから同じ燕市の「杭州飯店」「まつや食堂」、お隣りの三条市の「中華亭」「(三条)福来亭」「いこい食堂」、新潟市の「関屋福来亭」、長岡市の「安福亭」「潤」などと拡がり、新潟の一大勢力となっていった。
この特徴は強烈な背脂だけではなく、油も多いこと。そして、自家製の麺が東京の「ラーメン二郎」並みに極太麺であること。そして、そこに煮干しが効いていることである。極太麺・背脂・煮干し、というミスマッチな組み合わせと思ってしまいがちだが、そこは90年もの間、県民に親しまれ、そして拡がっていった味。食べてみると意外とクセになる。煮干し好き・二郎好き・こってり好きを包含するラーメンなので、東京に進出しても人気になる素養を持っていると思う。
次に長岡地区にある「地ラーメン」的なモノが生姜系のスープ。私はまだその代表店である「青島食堂」でしか食べていないが、似たような味が長岡を中心に拡がっているらしい。
さらに、忘れてはならない味が新潟にはある。「味噌ラーメン」だ。味噌ラーメンの街ではない、とばかりに味噌ラーメンにこだわる店なのだ。元祖は巻町にある「こまどり」。今ではキャパが100近くの大型店になっているが、それでも行列を作るほどの人気店だ。何しろ味噌だけでメニューが10種類ほどある。トッピングをただ変えるだけではなく、味噌・食材・調理法を変えているから驚く。さらに、同じ味噌のメニューでも麺の種類が四種類あるというから二度びっくり。しかも、味噌ラーメンには「薄めスープ」がついてくる。東京でいえば、つけめんの割り湯の感じ。「スープが濃かったらこれで薄めてください」と、ベースのダシを付けてくれるのだ。
この「こまどり」から出た店で新潟市にある「東横」は本家をも凌ぐ勢いで人気急上昇、支店も出した。コシの強い極太麺にかなり濃いめの味噌スープ、そして本家同様の薄めスープ付き。行列店である。同じく「こまどり」から出たのが豊栄市にある「東光」。他にも味噌が人気の店は「古潭(こたん 現・閉) 」「きのじや」「赤道食堂(現・閉)」「味噌や(現・閉)」など、多数あり、新潟ラーメンの奥深さを感じられる。
ラーメンジャパン / ラーメン店の例
新潟あっさり醤油ラーメンを提供する店の一例
昭和初期(1926-1945)に新潟市内にあった堀の周りにあった屋台で提供されていたラーメン。
屋台では火力が弱く、早く茹で上げるために細麺が中心となり、その細麺に合うように煮干し醤油のスープが作られた。
燕三条背脂ラーメンを提供する店の一例
金属加工業が盛んなエリアで出前のラーメンの需要が高かった。なるべく熱々で美味しく食べてもらうために背脂を振って蓋をして温度を保ち、麺は伸びにくいように太くしたとの説がある。
長岡生姜醤油ラーメンを提供する店の一例
生姜をスープに入れ始めた理由は「豚のくさみを消すため」と「体を温めるため」という説がある。
新潟濃厚味噌ラーメンを提供する店の一例
別添えの割りスープを加えて、味の濃さを調整しながら食べるという珍しいスタイルを「こまどり」が採用。
三条カレーラーメンを提供する店の一例
80年以上の歴史を持つ「三条カレーラーメン」の誕生のルーツは第二次大戦前、東京の洋食店。イギリス式カレールーの製法を習得した職人が、地元三条の食堂でラーメンと融合させたのが、「三条カレーラーメン」といわれている。 広まったのは高度経済成長期(1955〜73 頃)、三条市で盛んな金物産業の多忙な職人さんたちの間で出前のラーメンとして広まったと言われている。
カレー餡が温度を保つための蓋の役割をするという発想は、隣の燕背脂ラーメンと一緒である。