2025年9月25日の開店初日に200名の行列ができた話題店「ロックンスリー」とは?(1)
《Japan Ramen Guide/日本拉面指南》
麺喰ワンダラー(Menkui Wanderer)
column 2025.09
2025年9月25日の開店初日に200名の行列ができた話題店「ロックンスリー」とは?

新横浜ラーメン博物館は全国の人気店・有名店を招聘する施設として知られている。しかし、今回オープンしたお店は存在しない。いや、正しくは該当店舗が丸ごと移転して、本店がなくなり、新たな局面=Phase3に突入するのだ。そこでPhase1(ラァメン家 69’N’ROLL ONE)のオープン前から店主を知っており、食べてきた私が「ロックンスリー」(Phase3)を解説してみる。

孤高の天才ラーメン職人『嶋﨑順一』という男とその軌跡
関東(Phase1)と関西(Phase2)で“伝説”を作った“レジェンド”が関東に帰って来た。その人の名は「嶋﨑順一」。今だ、自ら厨房に立つ現役ラーメン店主。ただし、その進化はまだまだ現在進行形で『究極のラーメン』という終着駅を目指して、まだ走り続けている。店名も三つ目の名前になる。「ラァメン家 69’N’ROLL ONE(ロックンロールワン)」(関東時代:Phase1)〜「らぁめん矢 ロックンビリーS1(スーパーワン)」(関西時代:Phase2)〜そして「ロックンスリー」(関東へ凱旋:Phase3)。
まず、関東時代:Phase1での活躍を見てみよう。当時、私も審査員をしていた「TRYラーメン大賞」(講談社刊)は音楽界の「レコード大賞」のようなものである。その賞においてオープンした年(2006年)に「TRY新人賞最優秀賞」を受賞。翌2007年から2012年まで6年連続しょう油部門1位を獲得。今なら殿堂入りだが当時はまだそんなシステムが無かったのでもはや破られることの無い連続最高記録である。2011年には首都圏ラーメン界の頂点と言える「TRYラーメン大賞」を受賞。2012年には前人未踏のしょう油・しお・つけ麺細麺の3部門で史上初の3冠獲得。そんな記録を残しながら、14年に拠点を関西へ移してしまう。
関西時代:Phase2は、店名を「らぁめん矢 ロックンビリーS1」と変え、さらなる進化を遂げ、関西のラーメン賞を多数受賞。殿堂入りも果たしている。関東で大賞を獲り、関西で殿堂入りを果たしたラーメン店は未だかつて、嶋﨑順一氏しかいない。
嶋﨑順一氏は「水鶏系ラーメン」と「昆布水つけ麺」を創り上げた。前者はトレンドとも言えるが、後者は“発明”と言っても良い。どちらも画期的なことであり、それぞれについて項目を分けて語ってみる。

一大潮流となった「水鶏系ラーメン」の先駆者であり、最上流の存在
「ラァメン家 69’N’ROLL ONE(ロックンロールワン)」は2005年の年末に相模原で産声を上げた。当時、神奈川には「支那そばや」の佐野実氏というラーメン界の大先輩で嶋﨑さんがリスペクトしている人がいた。佐野氏を慕う人が集まり「佐野JAPAN」というチームを組織し、勉強会やイベントに出店したり様々な活動をしていた。そんな佐野氏は全国からいい食材を集め、旨味の相乗効果(つまり掛け算)でバランスのよいスープを作っていた。一方、「佐野JAPAN」の一員でもあった嶋﨑さんはその対極の「引き算」のスープを編み出した。それが水と鶏だけでスープを取る「水鶏系ラーメン」である。当時は2号ラーメンという名称での提供で、「水鶏系ラーメン」という名前が付いたのは奇しくも、彼が関西に行ってからである。方向性は違っても同じ“清湯系スープ”の両雄。二人で話をしているときに嶋﨑さんが「濃厚スープの時代はいつまで続くんでしょうね?」と佐野氏に聞いたところ「あと3年か5年辛抱しろ!必ず清湯の時代がやってくる!」という答えが返って来たそうだ。そして確かに“清湯の時代”がやってきたのである。
(2)に続く
『ロックンスリー』(神奈川県横浜市/新横浜駅)
公式情報
〒222-0033 神奈川県横浜市港北区新横浜2丁目14−21 B1F
